考えすぎちゃうあなたへ
わたしは人から「考えすぎ」とよく言われます。
「考えすぎ」ということがわたしの生きづらさの原因なのかもしれない!と気がついてからは、それをコンプレックスのように思ってきました。
でも、最近気づいたのだけど、わたしはあえて「考えすぎ」な状態に自分をしているのかなって。
もちろん、気づいたら考えすぎちゃうところもあるんだけど、それ以上に考えることができる自分でありたい気持ちもある気がするんです。
うん、なんかこの方がしっくりくる。
わたしは、子どものころから人の気持ちが考えられない人が苦手でした。
心無い言葉を平気で使う人、容姿のことを酷く言う人、意地悪なことを平気でする人、そういう人に嫌悪感がありました。
それは、相手のためを思っていたとしても当てはまる場合があって。
たとえば学校なんかでよくある「みんなで仲良くしてね」な雰囲気。
わたしはあれがものすごい苦手だったんですね。
だって、「みんな」の中には仲良くしたくない人もいるし、わたしは大勢でいるってだけでストレスでつまらないのに、どうして頑張って楽しい顔していなきゃいけないの?って思っていました。
やりたい人がやったらいいじゃないですか。
学校行事は、ちゃんとルール守って頑張るけど、わざわざレクの時間作ってみんなで遊ばなきゃだめですか?
わたしは一人で本を読む方が、布団の中でゲームしている方が好きだったんです。
そもそも「みんな」でいることがストレスなのに、あくまでも子供たちのために「みんな」で遊ぶことが教育に組み込まれていることが嫌でたまりませんでした。
わたしは同級生の子たちよりも、余計にいろいろ考えてしまう子どもだった気がします。
だからこそ、つまらなそうな子がいたら気になって仕方ないし、リーダー格の子をご機嫌取りしているクラスのみんなを見て悲しくなったし、なんで先生の自己満足のために仲良いフリしなきゃいけないの?ってずっと思ってました。
でもわたしは、大人になって思うんです。
わたしはみんなと違う、人の気持ちをちゃんと考えるし、こういうのが嫌って思う子も楽しめる子もいるのは分かってる、みたいに考えることで自己肯定感を保っていた気がするんです。
それはいまも一緒で、会社で自分の機嫌をコントロールできなくて雰囲気を悪くしている人達を見て、「わたしはなんにも考えてないあの人たちとは違う」って思うことで生きてきたのかもなって。
そのくせに、その考えることが原因で生きづらさを感じているのだから矛盾していて。
難しいね、生きるのって。
でも、なんだか自分がやりたくてやってることと思うと、直す必要全くないと思えてきませんか?
わたしは、ただ底抜けに明るい人がうらやましいです。
あんまり悩みがなくて、負の感情が出てこなくて、社交的で、常にだれかとわいわい時間を過ごせる人種の人達は、どれだけ生きるのが楽だろうとねたんでしまう時期もありました。
彼らは「生きるのが楽」とかすら考えたこともないかもしれませんが…
でも、でもね、わたしって実際そういう人になりたいわけじゃない気がしています。
人の気持ちを考えすぎるくらい考えちゃって疲れても、それで自分が人を傷つける回数が減るなら良いし、悲しさとか怒りの感情もしっかり受け止める心をもっておきたいんです。
だから、これはわたしが選んだ生き方なんだっていまは思っています。
わたしは考えられる自分でありたいんです。
それに気が付いてからは、直すもなにも、自分でこれを選んでいるんだ!って、ネガティブになることすら自分らしさのようで、愛おしく感じられるようになってきています。
自分が好きかと言われると嫌いなところがたくさんあって、自信を持って頷けないけど、自分を愛しているかと聞かれれば、自信を持って頷けるようになってきました。
これは、わたしがいろいろ考えて生きることを選んできたからだろうなと思います。
考えすぎるところを直したいと思っているあなたがいたら、一旦立ち止まってみてほしいです。
もしかしたら、あなたはあえて考えることを選んでいるのかも?
実は考えられない人に対して嫌悪感がありませんか?
ということは、あなたは自分が好きな自分でいれてるってことかもしれません😊
もちろんネガティブすぎてつらいとかは別の話だけど、この記事では考えすぎが悪いことじゃないよって伝えたかったです。
使いつくして疲れた脳みそをしっかり休めてあげてくださいね☕🥯
うたたね🪻
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