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フェルマーの最終定理と350年の挑戦: 数学史上最大のミステリーを巡る物語 (元教授、定年退職273日目)

私が敬愛する森博嗣作品

私の大好きな推理小説作家の一人に森博嗣さんがいます。デビュー当時はN大学の助教授(ご本人曰く)で、私とほぼ同世代でした。研究者としての本務と創作活動という二つの顔を持ち、昼は大学で研究に没頭し、夜は小説を書き続ける日々を送られていました。彼の作品は、理系特有の文体で深い洞察と論理展開が特徴です。文章自体の明晰さが心地よく、私は読み終わるのが惜しいと感じながら、大切に読み進めていました。彼の著作はほとんど読破しましたが、どれも知的興奮に満ちており、読了後の余韻は格別です。私の奥様も森さんの作品を愛読しており、同じシリーズを何度も(5,6回)読み返しています。

森さんは推理小説以外にブログも執筆しており、それを読むのも楽しみでした(現在は休止中とのことです)。理系的視点から現代社会を鋭く捉えた文章は、他の作家にはない独自の魅力があり、歯切れが良く、毎日読むことが楽しみでした。その後、ブログの内容は書籍化されましたが、一貫した考察はまとめて読んでも面白く、その楽しさは変わりませんでした。まだまだ目標には遠いですが、私のお手本です。


NHK「笑わない数学」の世界

森さんの著書で、私が最初に手にしたのは推理小説『笑わない数学者』でした(最近、英訳版が出版されたようです)。今回の note で触れるのは、NHK の「笑わない数学」という、その森さんの作品をオマージュしたようなタイトルの番組です(下写真)。お笑い芸人グループ「パンサー」の尾形貴弘さんが司会を務めています。パンサーのメンバーの中では「元気」担当として知られる尾形さんでしたので、一抹の不安を覚えましたが、番組を見てみると難解な数学の世界を大真面目に解説しており、意外にも(失礼!)良い味を出していました。

NHK 番組「笑わない数学」(注1)


数学史上最大のミステリー: フェルマーの最終定理

今回視聴したのは、数学史上最大のミステリーとも言われる「フェルマーの最終定理」に関する回でした。17 世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーが提唱したこの定理は「下図に示す式を満たす整数 x, y, z の組は存在しない(n が3以上の場合)ことを証明せよ」という一見単純な内容です。興味深いのは、フェルマーが 30 歳の頃、手元にあった本の余白にこの定理を書き留めた際、「私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」と書き足し、その証明をどこにも残さないまま他界してしまいました(なぜ、別の紙に書かなかったのか、と誰もが思うでしょう)。そのため、約 350 年にわたり多くの数学者がこの難問に挑むことになったのです。(下写真もどうぞ)

フェルマーの最終定理(注1)
フェルマーが本の余白にこの定理を書き留めたのだが・・・(注1)


天才たちの挑戦と350年後の解決

番組では、この定理に挑んだ偉大な数学者たちの歴史が詳細に紹介されました。同時代には、ケプラー、ガリレオ、ニュートンなどが活躍しており、ヨーロッパを中心に近代科学が発展していました(下写真)。フェルマー自身も確率論や幾何学など、当時最先端の研究を行い、数学界を牽引する存在でした。

ヨーロッパを中心に近代科学が発展した時期(一番左がフェルマー、注1)


18 世紀の数学界の巨人、レオンハルト・オイラーですら、n = 3の場合しか証明できず、19 世紀には、当時としては珍しい女性数学者ソフィー・ジェルマンが重要な進展をもたらしましたが、その難しさから、多くの数学者はフェルマーの最終定理の完全な証明は「不可能だ。証明は諦めよう」と考えるようになりました(下写真)。

天才数学者たちの挑戦(注1)


その後、日本の数学者、志村五郎博士と谷山豊博士による「志村・谷山予想(注2)」という、一見フェルマーの最終定理とは無関係に見える研究が、重要な鍵を握ることになります。1986 年、ケン・リベット博士とゲルハルト・フライ博士が、志村・谷山予想とフェルマーの最終定理との関連性を発見しました。この発見を基に、アンドリュー・ワイルズ博士が志村・谷山予想の証明に取り組み、1995 年にリチャード・テイラー博士との共同作業により、ついに完全な証明を成し遂げました。フェルマーが最終定理の発表してからおよそ 350 年、数学史上最大のミステリーが解決したのです。(下写真もどうぞ)

志村五郎博士と谷山豊博士(注1)
志村・谷山予想とフェルマーの最終定理との関連性を発見(注1)
1995 年、ワイルズとテイラーとの共同作業でついに証明される(注1)
350 年かけて数学史上最大のミステリーが解決した(注1)

<追記> フェルマーの最終定理の証明には、志村・谷山予想の一部を証明すれば十分でしたが、それでも論文は 130 ページにも及んだそうです。


このような壮大な研究は、研究者にとって夢です。私の専門に近い分野でも「〇〇の全合成」や「〇〇タンパクの全構造決定」などのような、5〜10 年単位の長期研究がありますが、その間、研究者たちがモチベーションを維持し、向上心を持ち続けることに敬意を表します。現代の科学技術の発展は、まさにこうした地道な基礎研究の積み重ねの上に成り立っており、その価値は計り知れません。


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注1:NHK番組 「笑わない数学:フェルマーの最終定理」より
注2:この呼び方には議論があります。

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