オリンピックの副賞「ビクトリーブーケ」に込められた思い
オリンピックのメダリストは、表彰式でメダル以外の副賞をもらっているということを皆さんはご存じですか?
表彰式では、メダリストにメダルが授与されます。
それと同時に、「ビクトリーブーケ」というブーケが、メダルに合わせて用意されています。
東京2020オリンピックは「復興五輪」とも呼ばれています。実際に復興を感じている人は多くないとの批判もあります。
しかし、この「ビクトリーブーケ」には東日本大震災からの復興への感謝や希望が込められていました。
花の出身地は東日本大震災の被災地
今回のビクトリーブーケには、福島県産のトルコギキョウ、宮城県産のヒマワリ、岩手県産のリンドウ、東京都産のハランが使用されています。
福島のトルコギキョウは震災後から作られるようになりました。震災によって農作物の出荷が減ってしまった震災後にNPOを立ち上げ、花を栽培することで復興のきっかけにつなげたのです。
被災地の花生産者は、ビクトリーブーケを通じてトルコギキョウが「被災地の花ということだけではなく、世界をリードするクオリティを持つ日本代表の花にまでなったということを、テレビを通じて世界の人に知ってほしい」と語っています。
宮城県のヒマワリは、震災で子どもを亡くした親たちが、子ども達が避難するために目指した丘に植えたとのこと。
時がたち、その丘で毎年ヒマワリが咲くようになったそうです。この話は絵本にもなりました。
リンドウは、日本で出荷されるものの半分以上がもともと岩手県産でした。そのため、岩手県を代表する花と言われています。
東京2020エンブレムと同じ色です。
東京産のハランは、主催地である東京で退会開催の準備に従事した人々を表しています。
このように、ブーケを作る花を通して、東日本大震災への思いが込められていました。
三大会ぶりの復活
ビクトリーブーケは、1984年のロサンゼルスオリンピックから副賞として贈られるようになりました。
大会ごとに開催地の組織委員会が手配をします。
2004年、ギリシャで開かれたアテネ五輪では、オリーブの枝で作った葉冠と、オリーブを使ったビクトリーブーケが贈られています。
2012年のロンドン五輪は、黄色やピンク、オレンジ、緑のバラに、ラベンダーなどが組み合わさった色とりどりの花束でした。英国産の花がちりばめられ、英国らしい美しいブーケだったそうです。
その一方、副賞がビクトリーブーケでない大会もありました。2016年のリオデジャネイロ五輪では、メダル置きでした。18年の平昌五輪では、平昌の山並みをモチーフにしたオブジェだったそうです。
リオデジャネイロでは花の調達が困難だったといった理由から、採用されませんでした。
それが今大会は三大会ぶりに復活しました。
東京オリンピック組織委員会は「この花束は東日本大震災の被害地域が再建しているという象徴になる」と語っています。
また、被災地の思いを込めると同時に、観客や選手への配慮も詰まっていました。
テレビ放送で選手がブーケを掲げた時、どんな角度から見てもきれいに見えるように花のバランスを考えたデザインになっています。
また、できるだけ長い時間、花を楽しめるようにと茎の先に袋をつけて、袋の中にゼリー状に固めた水を入れました。
さらに、記念に持ち帰れるようにと五輪マスコット・パラリンピックマスコットのぬいぐるみがそれぞれのブーケに取り付けられています。
選手同士の交流のアイテムに
8月2日に行われた体操女子種目別決勝の床運動では、村上茉愛と同点でそろって銅メダルを獲得したロシア・オリンピック委員会(ROC)のアンゲリナ・メルニコワの表彰式の様子が話題になりました。
表彰式でメダルは村上選手、メルニコワ選手の順番で授与されました。その後に副賞の「ビクトリーブーケ」を受け取った村上選手は、それをメルニコワ選手にさりげなくプレゼントしたのです。
とっさのことでメルニコワ選手も驚いたようでしたが、彼女も自分に授与されたブーケを村上選手に渡し、交換する形となりました。
このブーケ交換は、村上選手の思い付きだったようですが、一緒に戦ってきた同士であるメルニコワ選手への敬意の表れともいえます。
制限の多い今大会でも、選手同士が交流するアイテムになっていました。そしてその様子は見る人の心を打ったのです。
まとめ
なかなか大きく取り上げられることがありませんが、ビクトリーブーケには被災地の生産者の思いが詰まっていました。
また、ブーケを作るボランティアスタッフも、オリンピックへの思いを乗せてブーケを制作していたようです。
オリンピックも残すところあとわずか。その後はパラリンピックも始まります。
今後は競技だけでなく、表彰式のブーケにも目を向けて、被災地へ思いを寄せてみてはいかがでしょうか。