不登校子育ての相談相手。
不登校子育ての相談を誰にしていいのかわからなかった。
友達に話しても、親戚にしても、きょうだいにしても、親にしても、心はなかなか癒えなかった。
特に親やきょうだいに相談したことは逆効果で、さらに過去の感情から別の問題が掘り起こされて、関係は悪化した。
時には解決策が知りたい訳では無く、ただ息子が二人とも不登校になってしまった心細い気持ちを誰かにわかってほしい時があった。
でもやはり、不登校というものは経験しないとその苦しさはなかなかわかってもらえない。私も、経験するまで、未知の世界のことだと思っていたから、誰かの話に対して軽々しく何もわかっていないことを口にしていたかもしれない。
当事者になり苦しみ、例えカウンセリングを受けても、教師に相談しても、なかなか虚無感が拭えなかった時は、その人たちが不登校子育ての当事者ではないということだけで、私の心は、ちーん、と毎回沈んでしまうからだった。話を聞いてもらったあとで、とはいえこの私の具体的な虚しさはわかっては頂けないですよね、、、となってしまい、丁寧な寄り添いに感謝をしながら、その虚しい気持ちにさいなまれる自分にも自己嫌悪で苦しくなっていた。本当に一人ぼっちだ、とカウンセリングの帰り道に天を仰いだ。
不登校子育ての気持ちの負担はとてつもないことを、私は当事者になって初めて知った。
そして、誰にも、気持ちを話したくない、となっていく。
話せば話すほど、なかなか共感されることはなく、ますます一人ぼっちの気分になる。このループにはまり、心がひねくれてしまった私は、日常でどんどん孤立していった。自ら孤立に向かっているふしもある。
しかし、幸い親友が不登校子育て経験者で、寄る辺ない気持ちを私は彼女に何度も何度も救ってもらった。それは命を救ってもらったことと同義だと、彼女や彼女のご家族にとても感謝している。
とにかく誰かに話したい、でも話したくない、話してもわかってもらえない、聞かれたくない、放って置いてほしい、いっそ忘れて欲しい、一人ぼっちでいい、でも、虚しい。そんな気持ちが毎日寄せては返して、私は途中でうつになり、日常がストップした。
そして本当に、このままではだめだな、私が、と思った。もう、何かを大きく変えないとだめなんだな、と。
こうなるまでのショックが私には必要で、私や夫が何かに気づくために現実がこうなってるのかもしれない、と思った。だけど、それにしては、ショックがでかすぎる!とも。
なんじゃこら、という現実でも、引き続きコツコツやっていきたい。
日々を。
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