「殺人犯はそこにいる」(20171127-28の読書)
今年はあんまり本読んでないなあ~と思ったので、最近またちょこちょこ読むようにしている。
根っからの読書家ではないもんで、気を抜くとついほかのことばっかしてしまいがちだ。読むのも遅いし、途中で頓挫する(飽きる)し……。
でももちろん、本を読むのは好きなことのひとつには確実に入るんだけれどね。
ということで、最近読んだ本は「殺人犯はそこにいる」(清水潔/新潮社)。
上に記したようにまず読むのが遅い人間なんだけど、この本は一気に読み切った。夜寝る前に読み始めて、気がついたら日付が変わって朝の三時だった。おそらくこの本を読み始めたほとんどの人は、一気に読むと思う。
この本は怖い本だ。
起こってしまった事件が怖い、犯人ではない普通のひとが犯人にされてしまったことが怖い、犯人ではない人を犯人にしてしまったひと(たち、社会、組織)が怖い、まだ本当の犯人が捕まっていないことが怖い、そしてなにより、この本がノンフィクションだということが一番怖い。
感想を書けば書くほどどうしても取り留めなくなってしまうので、いっそ差し控えるのだけれど、「人間」という存在についてすごく考えさせられた。犯罪を犯す人間、犯罪を犯された人間、ある規定の枠組みの中で動く人間、そしてその枠組みの犠牲になった人間。全ては同じ人間の話なのだ。
そう考えるとどうしても暗くなるのだけれど、しかし、こうして記憶が風化せぬよう一冊の本に書き残しておくのも人間であるし、それを読み継いでいくのもまた人間なのだ。それだけは忘れてはいけない。
正直決して読んでいて気持ちのいい内容の本ではないし、もう一度読むかと言われれば答えに窮するけれど、読むべき本だったのは事実だと思う。
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この本は2016年の夏に「文庫X」として話題になった本だ。盛岡駅のさわや書店さんで「なんだろうこれ」と文字だらけのお手製カバーを眺めたのが記憶に残っている。
書名の公開から一年近く経って読んだわけだけれど、あの書店員さんの感想カバーを見ることがなければ、きっと読むことはなかったんじゃないかと思う。多分、同じ気持ちの人は多いだろう。おそらくは最も効果のある売り方だったのではないかと思う。
誰かのなかを通過してのみ語られるべき、いわば二次的な説得力がどうしてもこの本には必要だったのだと思う。誰かに背中を押してもらわなければ、多くの人はきっと読めない本なのだ。だってこれは、怖い本だから。
だからこの文章が、もしかしたら誰かの背中にそっと触れるかもしれないという思いで、今、これを書いている。
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もしも今後、この本をもう一度読みたくなることがあるとすれば、同様のことが起こってしまったときか、一連の事件の犯人が正しく明るみに出たときであると思う。
私は後者だけを望む。