迎賓館赤坂離宮
四ツ谷にある迎賓館赤坂離宮へ行ってきました。
現在は外国賓客が招かれる迎賓館
先月行った京都迎賓館も外国賓客を招くために建てられたものですが、こちらはもともと明治時代後期に東宮御所として建設されたものを、昭和に迎賓館に改築しています。日本で唯一のネオ・バロック様式の建物です。
西洋の宮殿を建築する
江戸時代、紀州徳川家の江戸藩邸だったところが、明治になって明治天皇仮御所となり、その跡地に後の大正天皇がご成婚を控えていることもあって、東宮御所として建築されることになりました。
1899年(明治32年)~1909年(明治42年)の10年の歳月をかけて、当時のエリート建築家:片山東熊が西洋の宮殿に匹敵する宮殿をとの思いで設計したそうです。
明治維新で日本が西洋建築に触れてからわずか30年で、西洋の宮殿を建築する。しかも東宮御所。すごいプレッシャーだと思います。
片山東熊は、工部大学校(現:東京大学工学部)造家学科第1期生で、東京駅の設計で有名な辰野金吾と同期です。
明治政府によって建築学の教師として明治10年に招聘されたジョサイア・コンドル氏の最初の学生の一人であり、このコンドル氏は鹿鳴館やニコライ堂、現在美術館として利用されている三菱1号館を設計しています。
大正天皇は住まず
完成した建物を明治天皇が見て一言「派手で豪華すぎる」。
この一言で、片山はその後病気がちになったと言われています。
明治天皇に遠慮したのか、病弱だった大正天皇も住むことなく、「赤坂離宮」という名前で(「離宮」とは普段は住まない宮殿ということ)呼ばれていた大正12年、関東大震災が起こります。
関東大震災でも被害がなかった建物
地震対策といった建築技術面においても、壁の中に縦横に鉄骨を入れ、床にも鉄材を用い、屋根組も鉄製にして銅板を葺くなど耐火構造も徹底しており、強固な基礎と厚い壁は大正12年(1923年)の関東大震災にも耐え、平成23年(2011年)の東日本大震災時にもほとんど影響しなかったといいます。
建物の内部は撮影禁止のためホームページでそのすばらしさをご確認ください。
摂政宮だった裕仁親王(後の昭和天皇)がご成婚後に住むはずだった霞ヶ関離宮が関東大震災で被災したため、この赤坂離宮で大正13年(1924年)~昭和3年(1928年)まで新婚生活を送られます。
私はこの南側からの景色が穏やかで、いいなあと思いました。
こんなところで新婚生活いいなあ…でもそのあとの激動の昭和を生きる天皇。複雑な気持ちで宮殿を眺めました。
賓客の植樹
南側の庭園には賓客の植樹が3本あります。
この二本の樹木は広い庭園にわざわざ隣合わせに植樹されています。
当然、時代的にあとから植樹したのはゴルバチョフ大統領でしょう。
ご本人が植える場所を選ぶとは思えないから、おそらくこれは日本政府の計らい。米ソの冷戦から平和を願ったのかもしれません。
外国の賓客の接遇施設。これがいつまでも有効に利用されて、多くの植樹が繰り返されるように平和であってほしい。
そしてこの強固な建物が避難所となるような大きな震災が起こらないでほしいと願うばかりです。