1月発売の文庫版『帝国ホテル建築物語』の見本ができました。
2023年1月に発売になる『帝国ホテル建築物語』の文庫版の見本が、早々に、わが家に届きました。2019年4月にハードカバーの単行本で出て、ご好評をいただいた拙作の文庫化です。来年が帝国ホテルのライト館ができて、ちょうど100年に当たるので、それに合わせた形です。ちょっと長くなりますが、この作品の裏話を書いておこうと思います。
なぜ、この作品を書くことになったかというと、2016年に中公文庫から『猫と漱石と悪妻』という書き下ろしを出すことになったのが、そもそもの発端でした。悪妻といっても今の感覚では、まるで悪妻ではなくて、むしろ夏目漱石の方が暴力夫なのですが、彼らの暮らしていた家が、明治村に移築されて残っていると知って、ひとりで愛知県の犬山まで見に行きました。
雨の降る日でしたが、目的の建物を取材して場面のイメージを膨らませ、ついでだからと、ほかの建物も見て歩いたのです。最後にたどり着いたのが敷地の端近くにあった帝国ホテル玄関棟でしたが、見たとたんに威容に圧倒されました。特に内装の素晴らしさには、フランク・ロイド・ライトの設計者としての感性はもとより、実際に作業にあたった日本の職人たちの力に感じ入ったのです。
帰宅して調べたところ、完成までには並ならぬ苦難があり、ましてオープニングの日に関東大震災が勃発。明治村への移築も、たいへんな騒ぎの末に決まったことがわかりました。これを小説にしたいと思っていたところ、ちょうど月刊誌の「歴史街道」から「何か小説を書きませんか」と声をかけていただいたのです。
依頼してくれた編集者は短編小説のつもりだったようですが、私は「ライト館建築の物語を、ぜひ長編の連載で」と前のめりになって頼みました。大正年間の話だから「歴史街道」が扱う題材としては、時代が新しすぎるかなという気もしましたが、担当編集者は気に入ってくれて、無事に企画が通り、連載が始まりました。
毎月、少しずつ書き進むので、いつになく丁寧に取材ができました。ライトの助手だった遠藤新のご子孫から資料を見せていただいたり、帝国ホテルの支配人で、建築の総責任者だった林愛作のご子孫からも貴重な情報を教えていただきました。また、黄色いレンガを焼いた常滑や、大谷石の産地にも足を運んで、いくつもの感動を積み重ねることができました。
連載終了後でしたが、アメリカ各地に残るライト設計の建物を見てまわるツアーに参加して、アメリカでのライト人気の高さも知りました。それから全体の構成を整理し、あちこち文章を書き直して、2019年にハードカバーの単行本になった次第です。
ちょうど同じころに凸版印刷が歴史的建造物のVRを作っており、その最初の作品が帝国ホテルのライト館の復元VRでした。またNH Kで「黄色い煉瓦~フランク・ロイド・ライトを騙した男」というドラマが放送されて、まさにライト館の当たり年でした。
今回、文庫化に当たっては、凸版印刷のVRの一場面、夜のライト館の映像を使わせていただきました。明治村に残る玄関棟とは異なり、まばゆいばかりに照明が灯っているし、奥の3階や4階も写っていて、とても美しい表紙になりました。
また帯には、縁あって隈研吾さんの「人間と建築との関わりの迫力が感じられて、とても面白かった」という言葉を、載せさせていただきました。世界的な建築家や世界最高水準の技術を持つ印刷会社の協力を得て、本が出せるなんて、なんと幸せなことでしょう。
ちなみに最初に漱石の家を見に明治村に行ったとき、帰りがけに売店でコロッケを買って、雨よけの屋根の下で、ひとりでモソモソ食べていたら、黒猫が現れて「ちょっとよこせ」と言わんばかりに、私のそばに座りました(下の写真)。かつて夏目漱石の家に黒猫が現れて、それが福猫で、漱石は小説家として大成したらしいのですが、今回、こんな素敵な文庫本ができたのは、あのときの黒猫が、私にとっての福猫だったのかもしれません。