【アラサー独身OLの焦りと休職#2】アラサー独身は大黒摩季の『ら・ら・ら』が沁みすぎる。改めて聴いてみてほしい。
幼い頃にテレビや親の車の中で聴いていて何気なく口ずさんでいた名曲を、
30代突入して、改めてどこかで耳にして、改めて歌詞をみてみたら、
「まって・・・これ私のために作られた曲なのでは・・・!?!?!?」
と、自意識過剰に反応してしまうことが増えてきた。
もちろん、私がこの世に存在していることすら作曲家は知らないだろうし、
自意識過剰にも程があるし、それくらいはわきまえているつもりだが、
そう思わされるのだ。
きっと私以外の多くの方も、そういった経験があるんじゃないか。
だからこそ「名曲」と呼ばれて世代を超えて愛され続けるのだろう。
音楽を聴くとき、
・歌詞を聴いていい曲だと思う人
・メロディーを聴いていい曲だと思う人
それぞれいるんじゃないかと思う。
私は最近まで完全に後者だった。
だから基本的に聴く曲はアップテンポな洋楽とかk-popが多くて、
歌詞うんぬんよりもメロディーや雰囲気でなんとなく好きになった。
ところが、
アラサーになり、30を過ぎ、また休職経験もして、
心に沁みるようなワードを手当たり次第追い求めるようになってから、
音楽をちゃんと歌詞も含めて聴くようになった。
そんな時に出会ったのが大黒摩季さんの『ら・ら・ら』だった。
たまたま垂れ流しにしていたテレビをふとみていたら、
「金スマ」が流れてて、そこに大黒摩季さんがゲストで出ていたのだ。
強い女性を連想する力強い歌声と裏腹に、
病との闘いや、さまざまな別れ。
波乱万丈な人生を送っていたことを知った。
「治療をとるか声をとるか」
「今まで連れ添ったパートナーとの別れ、慕っていた人の死」
よくテレビや親の車の中で聴いたことのあった曲ではあるけれど、
大黒摩季さんのことはよく知らなかった。
子宮内膜症の治療と相反する不妊治療を繰り返して体も心もボロボロ。
そして大切な人との別れ。活動休止。
境遇は違えど、自分の今の状況を重ねてしまって、
テレビを見ながらボロボロと涙がこぼれた。
改めて聴いた『ら・ら・ら』があまりにも沁みすぎた
大黒摩季さんのヒストリーを知り、
そんな境遇の中でも、自分の経験を昇華している姿に心を打たれた中で、
流れてきた『ら・ら・ら』。
カラオケで上司が歌ったり、テレビでも流れてくることもあったし、
久しぶりに聴いたわけでもなかったような気がしていたが、
「音楽はメロディーを嗜む派」だった私は、
のんきに「ら〜ららら〜〜」と、手をあおぐくらいのことしか
してきてない人生を送ってきたので、改めて歌詞を聴いて衝撃を受けた。
これは私を含むアラサー独身OLの心に沁みすぎるのではないか
調べてみると、歌詞にいろんな考察があるらしい。
そして、恋愛について描かれた歌詞であることは
1つ1つのワードをみると感じ取れるが、
聴き手の境遇によって、捉え方は全然違っていいと思っている。
「沁みる」と前置きしたが、
私自身、この曲の沁みるポイントは、
「独身アラサー女性の恋愛事情」ではない。
まず、そもそも私自身、現在大恋愛などをしていない。
どちらかというと、
恋愛に限らない「アラサー特有の焦り」そのものに共感したのだ。
私なりの「この曲の沁みるポイント」を言語化してみようと思う。
この曲の沁みるポイント
沁みた歌詞を、なぜ自分は沁みたのかそれぞれ解釈してみた。
※あくまでも個人の感想です。
「そういうことじゃなくない!?」と感じられる場合もあるかもしれないですが、音楽とは聴き手が自由に解釈していいのです。( 誰 )
それではスタート。
はい、もうすでに超沁みてます。
自分で自分の人生をろくに満足させられないで、
他で補おうとしてしまっていた自分に重ねて沁みた。
一人暮らしの家で悶々としている自分が嫌で、
そして孤独を感じて寂しくて、とりあえずテレビを垂れ流したり、
何か自分にとって有益な情報があるかもしれないとSNSにすがる。
でもそこには何もなくて、
むしろまぶしい世界が広がっていることに打撃を受け、
また空っぽな気持ちになる。
本当は自分自身を見つめ直さなければならないのに、
何があれば自分の人生はハッピーなのかさえわからずに、
「誰かが」「何かが」満たしてくれないだろうかと、すがる。
そんな日々を過ごしていたように思う。
休職してから、休息を充分にとって、最近は朝活をするようになってから、
少しずつ自分と向き合う時間が増えてきた。
寂しさや焦りは、誰かや何かに解決してもらうのではなく、
自分で満たしていく必要があるということを今は心で感じている。
この歌詞のような時間を経たから、
気付かされたこともあったのだとも思う。
この歌詞も沁みた。
自分に余裕がなくなってしまった時、
周りの人がかける言葉に対していちいち裏を読んでしまうことがあった。
「これは嫌味なのだろうか」
「心配しているふりをして嘲笑っているのだろうか」
精神状態が本当に追い込まれていた時、
そう考えてしまうことが少なくなかった。
相手が厚意でしてくれたことであっても。
自分が悲劇のヒロインになって、
「世界の中心で一番かわいそうなのは自分」と誰もが敵にみえるというか。
でも、精神状態が少しずつよくなってきて自分の心に余裕が生まれると、
相手の厚意を素直に受け入れられる。
結局、人は自分のみたいように世界を見ているのだ。
だから、できる限り悲劇のヒロインにならないように、
自分の心の状態をしっかり把握しておきたい。いい状態に保ちたい。
そう思った。
アラサー独身女性が、一度は考えたことがあるのではないだろうか。
少なくても私はそうだった。
周りも結婚して、子供も生まれて、子供の頃に描いていたような
人生設計を着実に進めている姿に、自分を重ねて焦る。みたいな。
26歳くらいからずーーーっとそれを感じていて、
その生きづらさから抜け出したくて、
「この悩みってどうやって解決するんだろう」ということを、
どうにか知りたくて、キャリアコンサルタントの養成講座に通った。
わかったことは、まず前提、
「この焦りはアラサー女性にとっては普通なことである」
ということだった。
自分だけが抱えている問題だと思っていたが、そうじゃなかった。
キャリアも中堅、プライベートも家庭を持つかどうか問題。
そもそも結婚したい相手がいるか問題。
正解がないし、今は多様性の時代でもあるから尚更、指針がなく不安だ。
選ぼうと思えばいくらでも選択肢がある時代。
だから最近はコーチング、カウンセリング、キャリアのパーソナルトレーニングなどのサービスが多く展開されているんだろう。
どのように解決するかの手段は人それぞれだが、
少し気持ちに余裕ができた今、私は自分なりに内省をして
「自分はどういう人生を送っていけたら満足できるか。ハッピーか」
を明確にしていこうと思う。
すべては、自分の求めていることの解像度を上げることから始まる。
それを言語化するために、noteも始めた。
自分は何に心を動かされ、何が好きで、何が嫌いか。
そんなことをもっと知っていきたいと思う。
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こんな感じで私が沁みたポイントを書いてみた。
人によって歌詞の意味は全然捉え方、感じ方は異なると思う。
いろいろ書いてみたけど、
大黒摩季さんの背中を押してくれるような歌声がとっても好きだ。
「こういう感情あるよな・・・」と沁みつつも、
なんか前向きな気持ちになる。とってもすごいことだ。
世の中にはそういう曲がいっぱいあるんだと思う。
今までちゃんと聴いてこなかった歌詞を、
これからはちゃんと聴いていこうと思う。