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社会の価値観はいつ塗り替えられるのか?『聖なるイチジクの種』

ストーリーは面白そう、だけどなぜタイトルがイチジク?
この映画について知った時の第一印象はそれだった。イチジクは甘くてジューシィでドライフルーツにしても最高、ダイエット時の間食にピッタリ、くらいの知識しか持っていなかったから。

「イチジクの種は土に根を張ると、既存の木に巻きついて成長し、やがて古い木を枯らして成長する」という、おどろおどろしい蛇のようにおっかない冒頭の説明で、イチジクの可愛らしいイメージは一変させられることになる。

©Films Boutique

ただのサスペンスじゃない、命懸けで公開した超社会派映画

『聖なるイチジクの種』は、父親が護身用に会社(国家)から支給された銃が家庭内で紛失し、家族同士が疑心暗鬼になる…というサスペンス調ではじまるストーリーだ。サスペンス調ではじまる、と書いたのは、後半は予測不能でハラハラしっぱなしの謎展開に連れて行かれるから。展開が待ち受けているというより、連れて行かれる感覚はぜひ体感してほしい。

ストーリーラインはエンタメ性を多分に感じさせる一方、実はこの作品、2022年にイランで女性がかぶる布「ヒジャブ」をめぐって、当時22歳の女性が道徳警察に逮捕された後に急死した事件に端を発する、「女・命・自由」運動に影響を受けた社会派映画でもある。

国家に楯突くような作品を撮ったモハマド・ラスロフ監督は実刑判決を受け、刑執行前に秘密裏に徒歩で出国、28日間かけてカンヌ国際映画祭に出たという、これだけで映画1本撮れてしまいそうな裏話も備えている。同映画祭では審査員特別賞を受賞、アカデミー賞にも国際長編映画賞としてノミネートされた。

イマン一家 = 国家

主要登場人物は、公務員の父・イマン、母・ナジメ、大学生のお姉ちゃん・レズワン、高校生の妹・サナの4人家族。両親は共に40代くらいで、父親は国家に尽くし続けて勤続20年、ようやくイイ感じのポジションに昇進したところ。下っ端ではないがまだ上はいる、中間管理職といった具合だ。

子どもたちがどちらも娘というのがミソで、父=国、妻と娘たち=女性の民衆を表し、まんまイラン国家に当てはまるように設計されている。

しかしまあ女性同士だからといって母と娘たちが友達親子みたいに仲が良いかというと、そうではない。苦労して育ってきたお母さんは、公務員の夫と結婚して裕福な暮らしを手に入れたから、夫のことを尊敬し、娘たちと同じくらい愛している。

大学生のお姉ちゃんは学校生活や友人を通じて社会問題に関心があり、親に疑問を投げつけることも厭わない。他方、高校生の妹はスマホで好きな音楽を流すのが日課。家庭内の空気を読む現実的で諦観すら感じる行動は、"余計な波風は立てない方が楽"という現代のティーンの一例かもしれない。

女性だからって簡単に団結できるわけじゃない

世代、年齢の違う母、姉、妹は、考え方や行動が異なる。女だからといって簡単に団結するようには見えない。同じような扱いを受けている者同士だとしても、世代間の違いが団結を阻む。

だけどこれは実際の社会も同じで、私の肌感覚でいうとMZ世代とそれ以上では価値観に違いがあるように思う。MZ世代が「それ、おかしくね?」と思うようなことも、上の世代は「仕方がないよ」と諦めて流してきたように感じる。

日本でも今、女性の"上納問題"が取り沙汰されているけれど、顕在化しただけで昔から同様のことはあったのではなかったか?SNSが選挙に大きな影響を及ぼすことも、TVが報道しない事柄があることもみんな知っている。(この映画でもお姉ちゃんが「TVは本当のことを報道しない」と口にする。)この前のアメリカ大統領選で若者世代のアプローチに効いたのは、オールドメディアではなくポッドキャスト番組だったという。

古い木を絞め殺して、新たな命が芽生えるイチジク

女性が髪の毛を露出できないほど抑圧された国の話かと思ったら、なんだ世界中で同じようなことが起こっているじゃないか。世代間の価値観の違いは、いろんな国で同時多発的に起きている。

今が歴史の転換点、長い狭間の時代にいるような気になる。古い木を絞め殺して新しい命が芽生えるイチジクのように、社会の価値観は塗り替えられるのだろうか。

年初にとある社会学者が言った「日本では首相の食べ方が汚いことが話題になるくらい、良くも悪くも平和」という言葉が頭から離れない。爺さん、おじさんばかりが主要なポジションを占める日々の報道、社会にはいい加減うんざりする。

  • 『聖なるイチジクの種』(英題:The Seed of the Sacred Fig) 167分

  • 公開:2024年(2025年2月14日 日本公開)

  • 出演:ミシャク・ザラ、ソヘイラ・ゴレスターニ、マフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ

  • 監督:モハマド・ラスロフ

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