短編小説:どしゃ降りとシュークリーム(下)

↑↑どしゃ降りとシュークリーム(上)↑↑




 嫌だなぁ、どしゃ降りじゃん。

 そう思いながら傘を開こうとしていると、困ったように立ち尽くした男性がひとり。

「あれ、岸本さん?」

 去年まで部署が同じだった、ひとつ先輩の岸本さんだ。先輩だけど…、よく怒られていた印象。あと、よく目が泳いでるイメージ。
 1年目の時、上司に説教されている途中で、部屋に入ってきた虫を目で追ってもっと怒られていた、という噂を聞いたことがある。

小谷こやさん!」

 と驚いたように言うから、こっちの方が驚いた。私の名前、覚えてたんだ。

 忘れ物もなくし物も多いし、そんなに関わっていたわけじゃなかったから、てっきり覚えられていないと思っていた。

「傘無いんですか?」
 見ればわかることだけど、尋ねてみた。
「うん、忘れちゃって。全然止みそうにないね」
 止まないよ。明日まで雨の予定だよ。
 かわいそうだし、「傘入りますか?」と訊こうと思ったけれど、なんだか言えなくて、私はかわりに
「今の部署、どんな感じですか?」
 と尋ねた。
「まあ、ぼちぼちかな。忙しさは前とそんなに変わらないけど、僕なかなか仕事覚えられないから」
 やっぱり苦労してるんだなあ。
「そうなんですね」
「小谷さんは?」
「私もぼちぼちですよ」
「そっか。小谷さん、仕事覚えるのも早いし、なんでもできちゃうから、いろいろ押し付けられてない?無理しないでね」

 岸本さんのことばは、ちょっと意外だった。
 私はわりと要領が良い方で、こう言っては何だけど、人より仕事ができるし、自信もある。だから「できます、やります」とつい言ってしまい、いつの間にか大量の仕事を抱えてしまう。そして、気が付いたら「あいつに任せとけば良いでしょ」という位置付けになってしまった。
 もしかして、岸本さんはそんな私に気付いていたのだろうか。
 なんだか泣きそうになって、
「ありがとうございます」
 と小さな声でつぶやいた。そして、
「岸本さんも、いつも全力で仕事に向き合ってる感じなので…。無理はなさらずに」
 と言った。
 これは本音。そう思ってる。岸本さんは不器用だけど、いつも全力なのはすごいと思う。お世辞とか社交辞令だと思われてないと良いな。
「ありがと」
 嬉しそうな声、だと解釈した。

 さて。そんな話をしているうちに雨は止んで…、ということはまったくない。相変わらず、ザーザーと激しく降っている。
「どうしようかな…」
 岸本さんは困った顔をしている。このままだと、本当にどしゃ降りの中走って帰りそうだ。

「入っていきます?」
 ようやく、尋ねることができた。
「いやいや!さすがにそれは悪いよ!駅まで結構距離あるし…」
 岸本さんは申し訳なさそうな顔をしているけれど、さすがに駅まで相合い傘するつもりはない。
「駅までじゃないですけど」
「え?」
「いや、そこのコンビニまで。傘買えば良いじゃないですか」
 あ、そっか、その手があったか、と岸本さんはつぶやく。ここから見えるところにコンビニがあるのに、思い付かなかったのか。
 やっぱり不思議な人。

 どしゃ降りのなか、無言で歩く。話そうにも、雨の音で声がかき消されてしまう。
 岸本さんは、しっかり傘を持ってくれている。これは自分の肩を濡らしながら、傘を傾けてくれている恋愛ドラマパターンかと思ったけれど、私の肩もがっつり濡れている。
 ちらっと、岸本さんを見上げてみた。じっと前を向いて歩いている。遠くからだと小柄に見える岸本さんも、隣に並ぶと思った以上に私より背が高い。
「岸本さんて、家にいっぱいビニール傘ありそうですね」
 コンビニに着き、不器用に傘を畳んでいる岸本さんを見て、つい言ってしまった。
「え、なんでわかるの」
 岸本さんはとても驚いた顔をしている。よく傘持ってくるの忘れてそうですもん、とは言わずに笑って流した。

 岸本さんは、傘を探している。せっかくコンビニに来たわけだし、大好きなシュークリームでも買って帰ろうと思っていると、傘を腕にひっかけた岸本さんが声をかけてきた。何か買ってくれるという。ありがたい。
 シュークリームを差し出すと、なぜか焦ったように、
「それで良いの?もっと高いやつで良いのに。そのケーキとか。あ、ほら、晩ごはんのお弁当とかは?飲み物とかも…、」
 とまくしたててくる。変な人。これが好きなので!とシュークリームを付き出すと、
「じゃあ、これで…」
 と弱々しく言って受け取った。自分も食べたくなったのか、もう1個シュークリームを取るとレジに歩いていく。
 よくわからない人だなぁ、と思っていると、
「あああ、すみません、すみません!」
 と岸本さんの声がした。
 どうやら、ビニール傘を腕にひっかけたまま、レジに出すのを忘れていたようだ。
 天然というか、ドジというか。
 いつも焦った顔をして走り回っていた職場での岸本さんを思い出し、少し笑ってしまった。


 コンビニを出て岸本さんと別れ、職場の前のバス停に向かう。
 雨は全然止みそうにない。
 この雨のせいで、バスは少し遅れているようだ。15分以上経って、ようやく遠くの方にいつもの青いバスが見えてきた。

「無理しないでね」
 ふと、岸本さんのことばを思い出す。私、無理してる?きっと無理してる。変な意地とプライドで、ひとりで抱えちゃって。
 今の私には、「頑張れ」よりも「無理しないでね」の方が沁みる。

 雨は止まない。
 全然止みそうにない。

 やってきたバスに乗り込む。遅れてきたわりに思ったより空いていて、座ることができた。膝の上には、通勤バッグとシュークリームが入ったビニール袋。

 岸本さん、少し不思議な人だけど、真面目で、普通に良い人なんだよな。
 今の部署でも、前みたいに走り回ってるのかな。

 バスが動き始める。
 相変わらず、強い雨が降り続いている。天気予報によると、明日も、明後日も雨。少し憂鬱。

 でも、私には買ってもらったシュークリームがある。

 帰ったら、シュークリーム!

 窓に映った私は、疲れた顔。でも、少し笑っていた。





※フィクションです。

 地元のたまご屋さんに売ってるジャンボシュークリーム(本当にでかい)が食べたくなりました。でも、もうひとりでは食べきれない気がします。甘いものに対する衰え…。

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