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短編小説:どしゃ降りとシュークリーム(上)
最悪だ。どしゃ降りだ。
今朝、天気予報で「午後から大雨」というのはチェックした。わざわざ玄関の目立つところに傘を置いておいた。
それなのに、家を出るときは晴れていたし、電車に遅れそうであわてて家を出たものだから、忘れてしまった。
いつもこうだ。僕はいつも、何かをミスする。
職場に着くまでは雨も降らず、今日は外回りの仕事もなかったから大丈夫だった。
夕方から少しずつ降り始めた雨が弱まった瞬間を狙って帰ろうと思ったのに。ビルの8階から1階までおりてくる数分の間に、どしゃ降りになっていた。
「嘘でしょ…」
激しく叩きつける雨を前に、立ち尽くす。
駅までは歩いて20分弱。走ればなんとかなるか?でも、ずぶ濡れで電車に乗るのは抵抗がある。最近は朝晩の気温も下がってるから風邪ひきそうだし…。
「あれ、岸本さん?」
悶々と考えていると、名前を呼ばれた。
「小谷さん!」
去年、僕の異動前の部署で一緒だった小谷さんだった。今から帰るのだろう、傘を開こうとしている。
彼女はひとつ後輩だけど、僕より全然仕事ができる。クールで、頭もよくて、ポンコツな僕のことなんて眼中にないと思っていたから、名前を覚えていてくれたことが意外だった。
「傘、無いんですか?」
「うん、忘れちゃって。全然止みそうにないね」
「しばらく止まないと思いますよ。中で待ってたら良いのに」
「それは嫌だよ、もうタイムカード切ったし」
濡れて帰るのは嫌だけど、サービス残業はもっと嫌。仕事するつもりもないのに職場に戻るのは、もっともっと嫌。
「今の部署、どんな感じですか?」
傘を開きかけたまま、小谷さんが尋ねてきた。さっさと帰ってしまうと思ったから、それも意外だった。
「まあ、ぼちぼちかな。忙しさは前とそんなに変わらないけど、僕なかなか仕事覚えられないから」
「そうなんですね」
「小谷さんは?」
「私もぼちぼちですよ」
「そっか。小谷さん、仕事覚えるのも早いし、なんでもできちゃうから、いろいろ押し付けられてない?無理しないでね」
去年、新人とは思えないほどの仕事を任されていた小谷さんを思い出して、つい言ってしまった。ああ、偉そうに、とか思われてないかな。ひいてないかな、と焦ったけれど、小谷さんはぼそっと
「ありがとうございます」
とつぶやいた。そして、
「岸本さんも、いつも全力で仕事に向き合ってる感じなので…。無理はなさらずに」
と続けた。
僕からしてみれば、いっぱいいっぱいなだけなんだけど、『全力で向き合ってる』と言われてみると、そんなに悪い気はしないかも。
「ありがと」
そう答えると、クールな小谷さんがうっすら笑った。
で、そんな話をしていたからと言って、状況は何にも変わっていない。
さっきよりは少しマシになってきたけれど、まだ雨は降っている。これ以上、弱まらないのかもしれない。あきらめて走ろうかと思っていると、
「入っていきます?」
と小谷さんが傘を指さした。
「いやいや!さすがにそれは悪いよ!駅まで結構距離あるし…」
「駅までじゃないですけど」
「え?」
「いや、そこのコンビニまで。傘買えば良いじゃないですか」
小谷さんが指さす先には、コンビニ。歩いて3分くらいの距離。
「ああ…、そうか」
勘違いして、恥ずかしい。そうだ、その手があったか。傘を買えばよかったんだ。
「じゃあ…、お願いします」
僕は小谷さんのブルーの傘にそっと入った。
コンビニでビニール傘を手に取り、レジに向かう途中、スイーツコーナーを眺めている小谷さんが目に入った。せっかく入れてもらったわけだし。
「何か買うよ」
「え、良いんですか?」
小谷さんは、眼鏡の奥の目を細めて笑った。意外とよく笑うんだなあ。いっぱい仕事してる人、のイメージばっかりだった。
小谷さんがじゃあ、これ、と差し出されたのは、普通のシュークリーム。わりと安いやつ。もしかして、気を遣われてる?と思い、焦る。
「それで良いの?もっと高いやつで良いのに。そのケーキとか。あ、ほら、晩ごはんのお弁当とかは?飲み物とかも…、」
「私、これが好きなので」
慌てる僕にぴしゃりと言うと、小谷さんはシュークリームを付き出した。
「じゃあ…、これで」
僕はシュークリームを受け取り、小谷さんがそんなに好きというのも気になるな、と思って自分のぶんも取ると、レジに向かった。
雨は全然止みそうにない。
小谷さんと別れ、駅に向かう僕のビニール傘を、雨粒は容赦なく叩く。
また家にビニール傘が増えちゃうな、とため息をついた。
「いつも全力で仕事に向き合ってる感じなので」
ふと、小谷さんのことばを思い出す。勝手に小谷さんは僕のことをばかにしていると思っていたけど、そうではない、と捉えても良いかな。
要領が悪いなりに、仕事ができないなりに、僕だって頑張ってる。もちろん社会が「頑張ってる」だけじゃ通用しないことはわかっているけれど、ちゃんと「頑張ってる」ことを認めてくれている人ことを喜んだって良いじゃないか。
雨は止まない。
全然止みそうにない。
雨はあんまり好きじゃない。僕はよく傘を忘れるから。明日も雨だったら嫌だなあ。
でも、僕のカバンの中にはシュークリームがある。
帰ったら、シュークリーム!
甘いものなんて、久しぶり。
僕はちょっと、足を早めた。
↓↓どしゃ降りとシュークリーム(下)↓↓
※フィクションです。
大学時代、飲みに行ってお会計済ませてお店を出たら、嘘みたいにどしゃ降りだったことがあります。お店で雨宿りするなり、傘借りるなりすれば良かったのに、なぜか濡れながら走って帰ったのも良い思い出です。(何の話?)