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ショートショート:カマキリ野郎と300円

「いやはや、昨日は春だと言ってもおかしくないくらい暖かかったですが、今日は寒いですなぁ」

 某コーヒーショップの列の最後尾。後ろからやってきた男に声をかけられた。
 20代後半~30代半ばくらいだろうか。鮮やかな緑色のパーカー、丸っこい目、とがった顎。知らない男だ。

 知らない男は俺に尋ねる。
「何頼むんですか?」
「誰ですか?」
 もしも俺がサラリーマンか何かであれば、どこかの取引先で会った人かなと頭をフル回転させなければならなかった。しかし、幸運なことに俺は仕事をしていない。失礼を働いても問題ない立場だ。

 知らない男は、すっと姿勢を正してにんまり笑った。

「申し遅れました。昨日助けていただいたカマキリでございます」

「何だって!?」
 思わず大きな声が出てしまった。前に並ぶご婦人が振り向いたので、あわてて頭を下げる。

「昨日助けたカマキリだと?」
「はい。あなた様のお車の上で迷子になっていたところを、地面に下ろしてくれたではありませんか」

 確かに昨日、そんなことはあった。散歩でもしようと家を出たら、デカいカマキリが車のボンネットの上で鎌を振り上げていたのだ。その偉そうな態度が気に食わなくて地面に放り投げたのだが…。助けたことになっているらしい。なら、真相は黙っておこう。
 もうひとつ、あの車は親父のもので、俺は車どころか免許も持っていないのだが、それも黙っておこう。

「本日は、その恩返しに参りました」
「恩返し!」
 また大きな声を出してしまった。前のご婦人がまた振り向くか…、と思ったが、いつの間にか列が進み、ずいぶん前にいた。俺はいそいでご婦人の後ろまで進む。

「恩返し、だって?」
 さっきよりも小さな声で尋ねる。
「ええ。恩返しでございます」
「カマキリの恩返しかぁ」
 鶴の恩返しみたいだな。どうせ恩返しなら、こんな妙なパーカーを着た男じゃなくて、綺麗なオネーサンとかが良かったのに。
 まあいいや。恩返しだって。なかなか楽しみな響きじゃないか。
「で、何してくれるの?恩返しって」
「こちらのコーヒー、お支払します」
 男は、真面目くさった顔で言った。ふうん、それでそれで?と俺は待つが、男は何も言わない。
「え?」
「何か?」
「それだけ?」
「何かご不満でも?」
「不満というか、」
「あ、順番が来ましたよ!」
「えっ」

 気がつけば列の先頭である。あわてた俺は、目に入ったアメリカンを頼んでしまった。しかも小さいサイズ。
「僕も同じものを。あ、お会計一緒で」
 カマキリ男は、流れるように注文すると、俺が呆気にとられている間に支払いを済ませ、コーヒーを受け取った。しかも勝手にテイクアウトにされていた。

 ホットのアメリカンを片手に、カマキリ野郎と街を歩いている。なんだ、この状況!
「晴れていますが、寒いですねぇ」
 カマキリ野郎はのんきにアメリカンをすすっている。本当に恩返しはこのコーヒーだけなのか。だったらもっと高いやつにすればよかった。
「なあ、恩返しってこれだけか?」
「んー?」
 カマキリ野郎はニマニマ笑っている。
「だってこんな…、こんな300円足らずの…」
 言いかけて、だんだん声が小さくなってしまった。確かに俺はカマキリを放り投げただけで、それが300円以上の価値かと言われると…。うん…。

「まあまあ。300円浮いただけでもラッキーじゃないですか?」
 そう言われればそうだ。無職の俺にとっては。コーヒーショップに入ったのも、俺のことを可愛がっているばあちゃんから小遣いを貰ったからなのだ。ギャンブルとか、酒とかタバコよりは良いかなと思って。

「…そうだな。カマキリ、お前の言う通りだよ。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ」
 カマキリ野郎はにっこり笑って、頭を下げた。

「せっかく浮いた300円、大事に使ってくださいね」
「おう!」

 さっと風が吹き…、カマキリ野郎は消えた。その代わり、1匹の立派なカマキリが羽ばたいて行った。

 本当に、恩返しだったんだ。



 俺は清々しい気持ちで街を歩いた。
 たかが300円。されど300円。
 無駄遣いするつもりは無いが、スーパーに入る。本当に必要なものを買うのだ。店の入り口にはガチャガチャが並んでいる。
 俺の好きなアニメキャラのやつもある。でもあのガチャガチャは500円。無駄遣いはしないって決めたんだ!
 だから今日は素通りして…、あ、嘘、待って待って、300円になってる!ガチャガチャが値下げされるめちゃくちゃレアじゃない?これはチャンスだろ!!

 俺は握りしめた300円をぶちこんだ。







 
 


※フィクションです。
 ガチャガチャって昔は100円くらいでしたよね?





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