ショートショート:ふたりでコキアを
あたり一面に広がる、緑色の丸いかわいいものたち。
「コキア、って言うんですよ。もしかして、ご存じない?」
きっと、綺麗な景色だと思えたのだろう。一緒にいるのがこの人物でなければ。
「いいえ、知っています」
私は不快な思いで言葉を返す。
「あら、そう。もしかして、本当は亮平さんと来たかったんじゃない?」
亮平、というのは、私の夫の名だ。当然だ。もともと私は、亮平とここに来るつもりだったのだ。
「ええ、亮平と一緒に来るつもりだったのに、あんたが来たせいでぶち壊しです」
「京子。私の名前」
「知ってますけど」
「あら。会うのは久しぶりだし、『あんた』なんて呼ぶものだから、忘れてしまったのかと思いました」
相手 ―京子と名乗る人物― は、ばかにするように言った。私は何も答えなかった。忘れられるものなら忘れたいし、本当は永遠に会いたくない相手だ。名前を呼ぶのも不愉快だ。
「夫婦円満」
「はい?」
突然の言葉。私はすらりと背の高い京子を見上げる。京子は、綺麗な二重の目を細めて私を見下ろした。
「夫婦円満。コキアの花言葉です」
「何が言いたいんですか?」
「コキアを見に行こう、と誘ったのは、亮平さんでしょう?」
「ええ」
そうだ。数日前、私は亮平からコキアを見に行こう、と誘われたのだ。植物が好きな亮平は、季節ごとに見頃を迎えた植物を見に行こうと誘ってくれる。今回も、「近くの植物園のコキアが見頃だって」と、わくわくした顔をして教えてくれたのだ。
「亮平さん、花言葉もよく勉強されているのよ。きっとあなたと一緒に『夫婦円満』の植物を見たかったんでしょうね。亮平さんはあなたと『夫婦円満』だと思っているのかしら」
何を考えているのかわからないが、京子はずっと微笑んでいる。
「どう?あなたは亮平さんと『夫婦円満』?」
「…あんたさえいなければ、円満だったと思います」
私は、拳を握りしめていた。こみあげてくる怒りを必死で抑える。
私と亮平は、仲の良い夫婦だ。私は彼に対して、何の不満もなかった。この、京子という人物が突然現れるまでは。京子が亮平に対して、どういう感情を抱いているのかは正直わからない。しかし、何の目的があるのか、不意に現れては私と亮平の間に割って入るのだ。
できるだけ落ち着いた声を出すよう努力しながら、私は言葉を続けた。
「亮平、今日をとても楽しみにしていたから、あんたが出てきてさぞかしがっかりしていると思うわ」
ずっと微笑んでいた京子は、私の言葉に初めて不快そうに顔を歪める。
「そんなのわかってるわよ。私なんていない方が良いって言うんでしょう」
京子は吐き捨てるように言った。私は、京子には消えてほしいと思っている。でも、亮平には意味のある存在なのだろうか?
「いいわ、そんなに長居するつもりなんてないし。もう帰るから」
京子は腰をかがめると、私と目線を合わせる。睨みつけるように私を見つめている。
「今のコキアは緑だけど、秋になると綺麗に紅葉して赤になるの。また、見に来るつもり」
「…もう来なくて良いけど」
私の言葉に、京子は何も答えない。黙って背筋を伸ばすと、私に背を向けた。私も何も言わず、京子が『帰る』のを待った。
「あれ?いつの間に着いてたの?」
亮平の驚いたような声が聞こえる。亮平はあたふたしながら私を振り返った。きっと亮平は、京子が『いた』ことを知らない。
「ここに来る途中で寝ちゃったのは覚えてるんだけど…」
「亮平、車の中で爆睡してたよ!さっきまですごいぼーっとしてたし!やっと目が覚めたの?」
私はできるだけ明るい声を出した。亮平は困ったように頭をかいている。
「いやー、ごめんごめん。最近ぼーっとすること増えちゃってさ」
「仕事も忙しいし、疲れてるんじゃない?ほら、コキアでも見て癒されなよ。ずっと見たかったんでしょ」
「うん、ありがとう」
わ、綺麗、と声を漏らしながら、亮平は一面のコキアを眺めている。私はコキアを見るふりをしながら、すらりと背の高い彼の横顔を見上げた。綺麗な二重の目を見開くようにして、景色を眺めている。
私の視線に気付いたのか、亮平は私を見下ろし微笑んだ。そして、そっと腰をかがめて私と視線を合わせる。そして、小さな声で言った。
「夫婦円満」
「…えっ?」
一瞬、どきりとして亮平の目を見つめる。優しい瞳。大丈夫だ、ここにいるのは、亮平だ。
「コキアの花言葉だよ」
「…そうなんだ」
亮平は、ゆっくりと背筋を伸ばす。
「知ってる?このコキア、今は緑だけど、秋になると綺麗な赤になるんだよ。その頃にまた見に来ようね」
私は亮平の顔を見上げ、しっかりと目を見つめた。
京子はちゃんと『帰って』いる。
ここにいるのは亮平だ。
「そうだね…。ふたりだけで、来ようね」
心の底からそう願いながら、私はつぶやいた。
※フィクションです。
画像は大分農業文化公園(るるパーク)
現在、グリーン・コキアが見頃です。
レッドコキアver.