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嵐と燈火《イライラおかーさんの近況》

気づいたら嵐がおさまっている。
必死で塞いでいた耳と、こわばらせた肩肘で支えていた屋台骨は、まだその緊張を残して辺りの様子を伺っている。

焦燥感が間髪入れずに押し寄せていた心の浜辺は、すっかり砂がさらわれてテトラポットぎりぎりまで骨と皮のようになっている。

でも、それはまだ・・・・・浜辺である。

集水域から土砂を集め、堆積してゆくことができる。山々の頂と河口付近の汽水は、無縁ではいられない。

――湿地だ!

わたしは自分という湿地の保全再生のために、11年前に自然物理的な湿地保全の仕事を辞めた。岩礁が焼け付き、藻場やアマモ場の生態系が乏しくなってしまったような今の自分。

――再生できるのだろうか?

大丈夫。
焼け跡は無機質だらけ。
無機質は植物の生育に欠かせない。
無機質の足場に、植物は生命を吹き込むことができる。
有機物の屍たちは分解者が土へと還してくれる。
そこへまた、植物が芽吹く。

7月初めからのイライラが、気づいたら収束しつつあるのかもしれない、という感じのしている週末。
それがあるもの・・・・としていつも構えていたから、あれ?と気づいて鳴りを潜めたその気配に、かえって面食らっている。

いつもばたばたしているお母さんが、急に家事や仕事の手が空いて、何していいか分かんなくなっちゃった感じ。…というか、それそのもの(笑) 休み方を知らない。

この、わずかだけれど少しの改善というか心のミリコンマ単位の落ち着き方向への振れ・・をもたらしたのは何だったのか、考えずにはおれない。

一つは、先日書いた『わたしが「わたし」を助けに行こう』の「ナイトくんワーク」を通して、問題として表れている自分の心の癖を敵に回さずに、受け止め始めたことがあるだろう。表面的には厄介ものでも、その本質は自分が生き延びられるように心を護る、という純粋な動機。それが、単純で応用が効かない不器用なもう一人の自分の起こしていることなのだ、と思いやって寄り添うことで、心が分裂せずに統合され、落ち着いてきている――そんなふうに感じている。

もう一つは、note でつながってくださる方々との交流が、支えになり励みになっているということ。note に書いているのは、少なくとも顕在意識の中では、自分の中でも深いところであり、それを伝えたり受け止めたりしてくれる生身の人間は、残念ながら今のわたしの日常にはいない。それはわたしの弱点であり、わたしという人間を鍛えてくれているのかもしれない、とも思う。いずれにしても、そういう部分を少なからず受け止めて交流できることは、繰り返しになるが自分を大きく支えてくれている、と思う。

note で、商業的なもの抜きにして交流くださる皆さんに、改めて感謝申し上げます。

今日も、ここまでお読みくださりありがとうございました。


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ヘッダー画像は、映画『DEVDAS』より「Silsila ye Chahat ka」のミュージカルシーンから、お借りしました。

何度見ても、う…美しい……❤


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#わたしがわたしを助けに行こう
#ナイトくんワーク
#イライラの対処法
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