天のことば・地のことば
*てんのことば*
あまのはしだてやすけきは
そにたもとをわかち
くちしげくせずとも心以て伝わりけり
ちに田づくる雄のかみ
その利棄てて子々孫々の社を築かむこと
有難きことなれど
口を尽くさねば意
伝わりなかること、ゆめゆめつまびらかで
滑稽なことこのうへなし。
*ちのことば*
三段論法をぶっとばして飛躍する閃きは,美しくも不器用な特性である。それは,時間から自由であり,その降ってくる性質から,論理とも元々縁がない。この,しごく科学的な世の中では,そういうスタイルはデフォルトとして踏襲されていない。だから,閃きをそのまま話すと,面食らわれるか,何だこのわけわかんない人,となる。
――ということは,うすうす感じていたのだが,何となく今日,はっきりわかった。何事も経験だなぁー!
・・・と,明るく捉えられるようになるのは,自分のこの世での至らない言動に悶々としてよもや三時間も経ちそうな頃である。ひたすら,後悔と羞恥心ともっとマシにできたのではないか,という脳内反省会が,止まっているように見えて実はけっこう高速で動いている凡夫の脳みその中で繰り広げられた,あとの祭りの一杯のビールの如く,そうした爽やかな理解を飲み干している。ぐびぐび,わるくないぞ。
いつもはこうして,定型に合わせて振る舞えない己の未熟さにおののき,うめき,結構常時,悲嘆に暮れそうにすらなっているものだから,詩のことばを理解する人に会えると,もうワキワキでドキがムネムネします(…💛)。え、それ、だよね、わかるよね!?やっぱりーー!!??うひゃーーーどんどんどんどん!!!!
それはあめのうずめのみことが天岩戸の前で舞い,神々がやんやか騒ぐような味がする。やんやか やんやか どん どん どん しゃりん!
*
一方で。大勢は地のことばを通して理解するから,ちゃんと,地のことばを使いこなせるようになりたい。時間という,いまだに未知のコンセプトへのなけなしの感覚も動員して,ちゃんと,目の前の人に必要なことばを届けられる人になっていきたい。
でもね,閃きと現実を埋めようとすると,五分や十分では,ことばが足りないのよ。大学時代の親友に「きっと世の中はあなたのペースを待ってくれないんだろうね」って言われたけれど,まさにそうなんだろうな。出会って数年も経ってなかったのに,なんて観察力の鋭い友人。きっと,わたしにはスピーチじゃなくて,だから「書く」という媒体でことほいでゆくのが,一番合ってる。特性を客観的に数値化してもそう。だった。
よし,自分のグラウンドで,がんばるぞ。無理しないのが一番の滋養であり,創作の源だからの。じぶんという人間を,社会化するれんしゅうもしながらね。ちょっとずつだけれど。
しゅうまいまいしゅうれんしゅう にゃんちゅう そうぞうちゅう
ぴろりろり~ん
↑ (この世で誤作動と認められる出力。)
令和三年三月二十五日 次女の保育所の卒所式を終えて。
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