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精神疾患をもっていたり、不登校だったり、引きこもったり、発達障害だったりする人へ【当事者研究のススメ】
心を病んでると、何だか後ろめたいような、自分が悪いような気がしてくるものですが、
社会の方がこんだけおかしいんだから ↓(昨日書いた記事です。よかったら読んでみてください)
病まない方が相当鈍いかおかしいか、類まれなる天賦の身体と生育環境でスーパー免疫力がある幸運で徳のある人か、サバイバーでバランスをどうにかとってるか…どれかだよ!
病むの、普通だから!
メンヘラ上等!!!!
だから、精神疾患は人に隠さなくていいと思う。
薬で補わないと保っていけないぐらい繊細な感性を持っていて、それがあなたの正常であり才能。
後ろめたさは、水が山を長い時をかけて削り取るように、わずかずつでも、確実に、あなたの生気を水漏れさせる。
それ、もったいないから!!
堂々と生きてていいから!!
この世知辛く狂った社会から引きこもったり、
その再生産機関としてしか実質機能してない学校から不登校になる。
…それは正常だから!!!!
それをまず、他でもないあなた自身が受け入れたうえで、
ある程度元気が出て、肚を決めたら
あなたの正常が常識になる世界を、
あなたの半径三メートルから創ったらいい。
それで口に糊をできる装置は
バーチャルに整いつつある。
この時代の恩恵を敢えて享受しに行ったらよい。
当事者としてどうして自分がこうなったのか突き詰めて極めて、
他の人がそうならないようにするのを仕事にしたらいい。
それは、近くにあるだけ
ところで私の愛するインド映画はインド各地の多言語でそれぞれに制作され、それぞれに小ハリウッドのようなおのを形成していますが、中でもヒンディー語はボリウッド界の主要言語です。
ヒンディー語で、「~を持つ」を「パース」と言います。
「パース」は、英語で言うところの他動詞「have」です。英語の「have」が「手に持つ」という姿を連想させるのに対して、ヒンディー語の「パース」は「~が近くにある」という意味から派生した「持つ」です。
つまり、ヒンディー語において、一人の人間が「何かを所有する」という概念は英語のそれに比べると圧倒的に希薄なのです。
二言語間の似たような単語が指す概念がそれぞれの文化的背景を受けて必ずしもイコールになるとは限らない好例です。
何が言いたいのかというと、精神疾患も発達障害も、現在・未来永劫「持っている」ものではなく、たまたま今、「近くにある」だけなのです、きっと。
そして、その障害は、確実に社会の側のコンテクストの中で、ある状態を「障害」や「異常」とみなす、社会やパラダイムやはたまた集合意識の産物に過ぎない、と言うことはできませんか?
そんな作られた「障害」や「疾患」を理由に、自分の存在が蔑まれたり、自分の心までそれを負って苦にしたりしたら、損だと思いませんか。
だから、きっとうまくいく
そのままでいい。ジャスト・アズ・イット・イズ。
そんなこと、生まれたときから分かっていたことでしょう?
涙をたくさん流して、笑いで、立ち向かっていけたら良いですね。
ちなみに…
病まない方が相当鈍いかおかしいか、類まれなる天賦の身体と生育環境でスーパー免疫力がある幸運で徳のある人か、サバイバーでバランスをどうにかとってるか…どれかだよ!
あなたはどれですか?
(ほかにもいろいろありますよね。網羅できなくてごめユニコーンです)
インド映画でまとめるの巻(しんどさが泣き笑いに変わる!)
↓↓↓
プライムで見れるよー
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