ディテールの鉄槌
ディテールの鉄槌を全て踏んで
物語は進むのです。
連綿と重層的で
でも個々は軽妙かつ美しいヴェールを纏って
物語は進行する。
それらを全て描写することなしに
どうして前へと進むことができようか?
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昔住んでいたアパートのご近所さんが、当時次女を産んだばかりでフルの仕事に復帰して夫は手伝ってくれないし心身共にボロボロだった私に、
「十二単を着せてひな壇に飾りたい」という賛辞を下さったことがあった。
乳飲み子を抱えて生活に奮闘し、身なりなんて構っていられない程切羽詰まっている20代後半の私に対して、その必死な形相すらも美しい、と美しい言葉で温かくくるんでくださった。
私はいつも、隣人に恵まれる。
それから数年後の夏の盛りが過ぎた頃、秋風のように彼女は近所からいなくなった。百合やクローバーやミントや紫陽花や紅葉や朝顔――彼女が手をかけ愛情をかけていた花々が季節毎に咲いていたのを、私は生涯、忘れないだろう。
*
早く目が覚めたら、鳥や蝉の慎ましい喧噪の中で、ふとそんな昔のことを思い出していた。そして、あの言葉をいただいてから6年経って、初めて思ったのだ。
「お雛様はお内裏様がいないと、雛飾りになれない」
対になる性質があってこそ、なのだ。
それは感性が理性の手足がなければ仕事ができないように、計画が時間と手を携えなければただの時間軸に落とし込まれたタスクという概念に過ぎないように、何も生物学的な男女ということではなく一人の人間の中で、絶対的な法則のような気がする。
昨日、好きなものに触れたら、元気になってきました💛
今日もがんばるぞー!
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