愛されたい人生だった
叶えたかったね、でも…。
わたしがnoteで綴る意味は、さまざまある。
日々の気付きや学び、葛藤、就労移行支援での体験記(兼、注意喚起)、好きなもの…。
生きた証を綴ると共に、遺書のようにも使っている。
そこで、ずっとずっと叶えたいけれど叶えられないものをタイトルにしてみた。
それが、【愛】。
そもそも、愛ってなんなんだろうね。
突き詰めてしまうとそこまでいってしまうけれど、人として生まれたら家族以外の人間に愛されたいと想うことは自然だと思う。
とはいえ、わたしのような無能で価値のない非人間には最も望んではならないもの。
それに、わたし自身が望んでない人間からしつこくされるのは本当に嫌。
その思いは、誰しもそうだと思う。
逆に、好きな人に少しくらいしつこくされるのは良かったりする。
寧ろ、そうされるのは好きなのかもしれない。
そういうところに、愛(愛情)を感じるのかもしれない。
ただただ、死ぬまでに好きな人から愛されてみたかった。
これが、わたしが一番叶えたかったことなのかもしれない。
母だって、結末は最悪だったかもしれないけれど父に愛されて幸せだった時期はあった。
女としての幸せは短くても味わえたことだろう。
人として、愛される喜びは味わえたと思う。
けれど、わたしにはそれを望んではいけないらしい。
それが、わたしが生きる為に課せられたことなのかもしれない。
一方的に思い続けることは可能だ。
けれど、報われないのだから、結局こころが益々死んでいくだけなのだ。
もう、こころは死んでいるのだからあまり問題はないのだろうけれど。
女としての、わたし。
ひとりの人間として、女として愛されたいわたし。
それは捨てないとね。
もう叶わないのだから。
ああ、そうか。
だから、過去形でタイトルを綴ったのかもしれない。
だって、人はいつ死ぬか分からないから。
叶えたかった、けれど叶わない。
改めてそのことを痛感した。
本当は…と思っても無駄なのに、まだまだ葛藤するわたしは気持ち悪い。
気持ち悪いループを繰り返しながら、感情をなくせばいい。