「休みなさい」

多分、初めて言われたこと。



わたしは、症状悪化していることやそれに伴う体調不良をずっと主治医を始めとした支援機関の人達に訴え続けていた。

けれど、どいつもこいつもまともに聞くことはせず「ボロ雑巾になろうがこころが壊れ続けようが働け」という結論しか言い続けなかった。

相談すればするだけ、わたしのこころは益々疲弊した。
だから、職場環境が悪かろうが、毎日のノイズハラスメントなどに堪え続けた。

「ご褒美の為、お金の為に我慢しなければならない」
その思いだけで、必死に堪え続けた。

今更すぎる対応にも、こころから白け、どうせいつでもどこでも加害者しか擁護されない。
こころも身体も壊れたってどうでもいい。

元々、こころは殺されているのだからこれ以上殺されたってどうってことない。
わたしは、無能な非人間でゴミ屑なのだから。

会社で発狂するには、充分過ぎる条件が整っていた。
既に自宅でデスボイスで発狂し物を投げ暴れているのは日所茶飯事なので、その場所がただ変わるだけの話だった。

無能な非人間でゴミ屑だと痛感しつつ、社内で発狂しないよう騙しだまし仕事をしていた。
けれど、こころも身体もわたしに対して急ブレーキを掛けてきた。

相談しても無意味だろうと思いつつ、とりあえず支援員に現状を伝えた。
とはいえ、この支援員の上長は加害者の一味である。

これまでも現状が変わることなく、相談してもこちらの骨折り損だったので結果は想像していた。
けれど、一旦話してみるということに賭けてみた。

すると、意外な行動に出てきた。
わたしも、主治医にはまともに話すことはもう困難だったのでわたしの通訳として来ていただくことにした。

(ていうか主治医…よくすぐに快諾したな、あれだけ支援員の同行は無意味だと言っていたのに←)

そこで、主治医はわたしの異変に気付いたのかもしれない。
何かを察知し、主治医から休むことを下された。

わたしも少しは話したものの、話はとてもスムーズに進んでいった。
そして、わたしが主治医にあることを尋ねた答えは

「休みなさい」

という言葉だった。

これまでは、休みながら仕事しろとか休みの日も仕事と同じ時間に起きて日光を浴びるなり家の中でも動けという答えだった。

おそらく、この「休みなさい」は、日中動けという意味合いもあるのかもしれない。
けれど、ここまでハッキリとただ「休みなさい」と言われることはほぼ初めてだった。

お金の入用なのに、とても無責任なことを…と率直に思った。
けれど、ろくに話すことも出来ずいつしかボロボロ泣きながら受診に来ているのだから休めと言われるのも仕方ないのかもしれない。

休むとはいえ、結局は天涯孤独なので家のことなどは全て一人で行わなければならない。
体力を戻す為には、ちょうどいい機会なのかもしれない。

けれど、「休む」って何なんだろう?
休んだって、結局はうごかなければならないし、グルグル考える。

トラウマもフラッシュバックしてしまう。
そんな中で、休むことはできるのだろうか?



「休みなさい」
言葉にすることは、とても簡単なこと。
けれど、休み方を見失ったわたしにはとても難しいこと。


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