次はいつ会えるだろうか
分からないからこその、大切さ。
雪辱を果たせたわけではない。
けれど、やっと観たかった場所で当時とは違うけれど貴重な時間を体感できた。
昨日も今日も、最前列には○悪ストーカーがいた。
前列は、地元民や初めて観に来た人が少ない。
(例外はあるけれど、大体はそうだ。)
何だか、昨日も今日も贔屓以外のメンバーの気遣いに泣けた。
わたしなんかにこんなに気を遣う人達だったっけ…?
優しすぎて、ありがたいやら申し訳ないやらで泣いてしまうよね。
贔屓は、安定の見えてるんだか見えてないんだかの態度だし。
(目が良いから見えているようには思うけれど、嫌われてるから仕方ないや!笑)
ただ、昨日も今日もどこかしらあからさまだったり。
今日は特に、わたしの地元を言った瞬間にあからさまに見られた?と勘違いするレベルだった。
昨日も昨日で勘違いする場面があったし。
それはわたし以外の人が、あれはわたしに気付いたからだと言われたけれど…半信半疑だけれど確信もあったり。
生活スタイルも当時からすれば、ずっと変わり続けていてずっと疲れている。
現場に行くことも許されない状態だ。
けれど、非人間で存在否定もしてきたのに…こんな勘違いでやっぱり好きだと思えるのはまだまだわたしはチョロいのだろう。
大丈夫、あの頃よりはもうわたしは自分のことは理解しているよ。
贔屓のあなたからもそうだけれど、別の人からもっと酷い手を使って…わたしは無能で無価値で人間じゃないってことを教授されてるから。
こんなわたしでも許されるのなら、もう少し贔屓さん、あなたのことを好きでいさせてください。
次会えるのはいつかは分からないけれど、地元の新しいホールに来る時までは何処かに行けたら行くよ。
いつ、何が起こるかは分からない。
いつもこれが最後だ───────そう思っているからこそ、現場での全ての時間はわたしには貴重でありプライスレスな宝物。