「そうだと思ってた」
それでも、違うのだろう。
ある人に、トラウマとなっている件について相談している時のことだ。
まずは、こう言われた。
それについて、わたしも実は違和感を抱いていた。
なぜ、そこまでこの人達は気付けないのだろうか?
なぜ、わたしがトラウマを植え付けた人達に気を遣わないとならないのだろう?
それを、相談している人達の大多数に言われている。
理由としては、明確だ。
わたし自身を守る為。
これ以上、このトラウマのせいで仕事に悪影響を出さない為。
その為なら、どんな手段も厭わない。
そいつらは、何の責任も取らないし不誠実だから。
そして、もう1つ、トラウマを植え付けた相手とのまだ話していなかった(と思う)エピソードを相談相手に話した。
これまでも色々と相談してはいるけれど、初出ししたエピソードについては、わたしが最大級に困惑したエピソードだった。
(この他にも相談したエピソードで、困惑しているものは多数ある。笑)
すると、相談相手も困惑…。笑
これまでのエピソードも含めて、総合的にわたしが感じている【違和感】を伝えてみた。
わたしが『もしかして?』と思った違和感は、わたしだけが感じているものだと思っていた。
けれど、相談相手には同じように感じていた。
その真意は、その言葉を放った相手=わたしにトラウマを植え付けた人にしか分からないことだ。
混乱させたがる人だろうから、深い意味がないというのもわたしは理解している。
それなら、混乱させること言うんじゃないよとわたしが怒ることだって自然な感情だ。
『もしかして?』という思いも、怒りも早く捨ててしまわないとね。
相手の本心は、相手が打ち明けるまでは分からないもの。
知る術もないのだから、何もかも勘違いだと思うしかないのだ。
混乱させるだけさせて、それでもわたしを非人間だと突き付けたのだから。
これから、わたしは仕事以外では非人間でないとならないのだから。