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『エ/ヱヴァ考』読んだ後のつぶやき
『エ/ヱヴァ考』山川賢一
主にエヴァンゲリオンTV版を中心に正攻法で精読・批評している良書。
エヴァは単なるハッピーエンド/バッドエンドに収斂するような成長物語ではなく、終わりなき試行錯誤の生、つまりアクチュアリティを伴った人生そのものを表徴するという複雑怪奇な物語だ。
この書は、エヴァを二つの主要テーマに分けて考えている。
つまり
①偽りのリアリティ
②ホメオスタシス/トランジスタシス
である
偽りのリアリティ
①はその屈折した物語全体に漂う、あの不気味な日常性のことだ。
本書では様々な角度から述べられているが、
例えば
第三新東京市は、アニメでも激しいアクションが繰り広げられているからわかるように、戦争は日常茶飯事的に起きている。非常事態が常態化している。
しかもそれは、表向き平和な世界のように装われている。(戦闘がおわったら第三新東京市は要塞ではなく日常の形態に戻る仕組みなので、シェルターに避難している市民はいかに戦闘が悲惨なものかどうかはわからない。
また、情報統制が行われているにもかかわらず、それはネルフの一員であるミサトはそれを世間話のネタ程度にしか捉えていないところなど。)
つまり、街全体に非常事態であるにもかかわらずそれに麻痺した弛緩した空気が流れているのだ。
実はこれが独裁にとって効果的なやり方であって、現在のミャンマーのように軍による実力行使・恐怖支配は批判の的になるだけであまり効果はない。
独裁を日常にとけこませることが、独裁を維持させる。疑わせないことが必要なのだ。
これが、「偽りのリアリティ」である。
ホメオスタシス/トランジスタシス
これは、第15話「嘘と沈黙」でミサト、加持、リツコがバーで話していたときに、リツコが発した言葉から来ている。
リツコ:今を維持しようとする力(ホメオスタシス)と変えようとする力(トランジスタシス)。その矛盾する二つの性質を一緒に共有しているのが、生き物なのよ。
ただし、ホメオスタシスという生物学用語は存在するが、トランジスタシスという用語は存在しない、造語である。
これはエヴァ全体を通して、例えば物語の展開が進むにつれて変化するシンジの内面に表れている。
細かいことは省くが、シンジは最初閉じこもっているような、周りに流されるような人間だった。エヴァに乗る動機もわからず欠如した感覚を抱えていた。
だが、途中で自分の意志でエヴァに乗って戦う、と決めたシーンがある。
これでもって成長したか、と思えば、ストーリーが展開すると、また退行したかのように、行動動機の欠如、つまり周りに流されるような人間に戻ってしまった。
これは、人生が一つの方向にご都合主義のごとく成長していくわけではないことを表す。
人は成長しないのだ。
八方ふさがりを蹴破ったと思ったらまた八方ふさがりになるようなものが人生なのだ。
ホメオスタシスとトランジスタシス、この両方を抱えながら生きていくことになる。
そういうことで、エヴァはハッピーエンドにもならないし、バッドエンドにもならない。どっちか一方に「なる」ということは人生においてありえないのだから。いわば両義的にならなければならない。
エヴァは生きることの、物語であった。