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どくしょめも:『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』(東浩紀・2001・講談社現代新書)


オタクと日本と日本社会

本書が執筆された平成前期は宮崎勤事件の影響によりオタク差別が蔓延し、当のオタク自身もその閉鎖性を高め、差別に乗っかる形でオタク特別論を展開していた時代……らしい。
そんな時代にオタク系文化にこそ我々の時代(ポストモダン)的特質があるとした本書はきっとオタク系文化をフラットに論ずることの出来る我々の現代(本書以降の時代)のさきがけとなったのだろう。

本書において筆者はまず、オタク系文化特殊論(または正統日本文化論とも言えるもの)を解体するために「オタク系文化が実は戦後アメリカから輸入された文化(戦後のアメリカニズム=消費社会の論理)にアレンジを加えたものである」とし、日本の伝統文化とは断絶した存在であることを主張する。
「だからこそ日本のオタク系文化は世界中で受け容れられつつある」という主張はとても面白かった。
そしてそこから「オタク的な日本のイメージは、このように、戦後のアメリカに対する圧倒的な劣位を反転させ、その劣位こそが優位だと言い募る欲望に支えられて登場している。」という論を導出するのは流石だ。
オタク系文化もまたラジオの小型化などと同じ文脈の中で登場したきわめて戦後的な存在なのだ。

大きな物語の失墜とデータベース消費

この部分ではシミュラークルのくだりが面白かった。近代社会に欠かせない「大きな物語」が第一次世界大戦からソ連崩壊まで80年近い月日をかけて失墜したことにフィクション作品まで引っ張られているのは面白い。
ガンダムの昔は作品そのものと世界観が「大きな物語」の代替物であったが、新世紀エヴァンゲリオンの時代になると、ついに(アニメ)作品そのものが絶対的なオリジナル作品ではなく、2次創作と同じシミュラークルとして提供されるようになった。
そして時代は物語を必要としない「萌え要素」などのデータベース消費型に移行する。そしてついには原作と全く同じフォーマットで作られる二次創作まで登場するのだ。
(結局スマホゲーなどの登場でこの流れはそこまで続かなかったけどね)

賛否両論多いが面白い本だが、これ以上書く時間はないので今回はここまでにしておく。

今の日本が本当に動物化ではなくスノビズム社会だったら面白かったのになぁと思いつつ。


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