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連ちゃんパパの感想

 少し前にSNSでバズっていた連ちゃんパパの全43話を読んだ。

 連ちゃんパパとは1990年代にパチンコ雑誌に連載されていた漫画である。それが数十年の時を超え、無料で読めるマンガ図書館Zに掲載されたことで、ここ数週間で話題になっていた。

 一言でいうと、かなり「最悪」だった。一昔前の日常系を思わせるような作画で繰り広げられる、ある種の非現実的な物語が、かなり不快だったと言っていい。非現実的な物語の展開でありながら、ところどころで描写される人間味が、僕らの日常の延長線上にあるものだということを、強く実感させられた。誰しもが主人公であるパパに転じ得る可能性があるという点で、自分自身の弱さを突きつけられる感じが不快だったと言える。

 あらすじとしては、「ある日、東京で高校教師をやっている日之本進の妻である雅子がパチンコにハマり借金300万円作ってしまい、失踪してしまう。借金取りに、そのことを知らされ残された進は、息子の浩司と、ともに雅子を探し旅にでる。その過程で旅費を捻出するため進はパチンコに手を出すが、徐々にパチンコにハマってしまい…。」と言った感じだ。

 今までの人生で遊びを知らなかった進が、パチンコにハマっていき堕落していく過程が非常に不快だった。舞台や描写こそ非現実な場面があり「進が物語を進める神にいじめられているのでは?」という描写があれど、その過程は非常にリアルなのだ。

 いつか僕もそうなるのではないか。そんな思いがよぎってしまう。1年くらい前に友人に連れられパチンコを打ちに行ったことがある。そのときに「ある程度金を持つようになってからハマるのはマズイのではないか?」という思いを抱き、そのタイミングで行ったことがあったが、このタイミングで読むと、その疑念も、あながち間違っていなかったように思えてしまう。

 あんまり推奨はされないかもしれないが、風俗やキャバクラなど水商売的な所謂「大人の遊び」ものも、行っておくなら今のうちかもしれない。ある程度金を持つようになってからでは怖い。

 普段なら僕は絶対にこんなことは思わないだろう。こういったことをを思わせてしまうよう、絶妙なリアルさも、あの漫画の怖さかもしれない。

 普段、社会生活を営み、見ないようにしている部分を、どうどうと突きつけられている感じがしてしょうがない。それに、ギャンブルや性といった部分を「必要な人生経験」と受け止めさせるような感じも気持ち悪さを感じる。

 何よりこの漫画の怖いところは、登場人物のほとんどが、その場のノリと勢いで何の思想にも基づかないペラペラな行動をしているところだ。

 とにかく、ほとんどの登場人物に一貫性がない。数ページ前の出来事を平気で裏切り、忘れたかのような行動をする。

 進は元・高校教師。そんな彼に対して元・教え子達がパチプロ(パチンコで生計で立てる人)をやめるように諭し、カンパを送るエピソードがある。進は、それに感動しパチンコをやめ真っ当に生きることを宣言したのにも関わらず、数ページ後では、そのお金でパチンコに勤しんだりしているのだ。

 また、逃げられた雅子が間男の子供を妊娠し、それによって離婚調停を結ぼうとしていたのにも関わらず、出産間際で駆けつけ苦しむ雅子の横で離婚届を破り捨てたのだ。ただ、生まれたのが双子だったことで(今後掛かる経済的な問題を考えると)冷や汗をかくシーンがある。そして、それが、この話のオチなのだ。

 このように行動に信念が伴わずペラペラなのだ。薄い。その場で一番気持ちのよいことをしているだけでしかない。今はパチンコが楽しいから遊ぶ。今は妻に寄り添うのが心地よいから寄り添う。前戯というよりはオナニーに近い。つまるとこ自己満足だ。

 そこに人情はない。けれども、それが最も人間らしさを読者に想起させてしまうのだ。なぜなら人は、そこまで聖人君子じゃないし、ある程度、矛盾を抱えながら生きているから。この漫画を読んで「(あそこまでひどくはないにしろ)進のようにならない」と言い切ることができる人は、どれだけいるだろうか。進のような考えが一瞬たりともよぎらないという人は稀な気がしている。

 人が本来抱える弱さを無理やり引き出させ自覚させる。そんな嫌な気分にさせてしまう力が、この漫画にはある。


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