怒らなすぎて、怒ることを忘れた経験
私は2023年の6月辺りに、怒りの感情を忘れていた時期がありました。
普通の人は怒りの感情を抱く事が日常茶飯事で、忘れる暇がないほどに感じています。
ただ私は、最後に怒ったのがいつだか覚えていないことがあるほどに怒ることが希になりました。
聖書の言葉に従っていないときには、こんなことはあり得なくて、人に注意されるくらい悪口も酷かったです。
私が怒りの感情を忘れていたときは数ヶ月の期間この感情を抱くことが皆無であったことでしょう。
久しぶりに沸沸とと嫌な感情が湧いてきたときには、まるで怒りを知らない人が初めてこの感情を体験したかのような、
「!??なんだこの感情は??」
「そういえば怒るって、こんな感情だったな….。」
とビックリして、その後に悔い改めの祈りをしたことを覚えています。
確かに私の日々はストレスフリーで幸せなものではありますが、普通の人であれば怒ることの10や20が無いわけではありません。
そして嫉妬や妬み、傲慢、高慢、自尊心、嘘、悪口、貪欲、殺意や敵意のまがいも、気づいたら私から無くなりかけていました。
殺意なんてもう覚えていませんし、思い出したくないです。
私の高校生以前の友達は、私の悪口をたくさん聞いていた人達ですが、私と1年以上仲良くしている大学の友達は、私が悪口や誹謗中傷を言ったことを聞いたことがある人はいないのではないでしょうか。
昔の友達には「昔は人を殴ったり、色々とよからぬことをしたことをブログに書けよ。」と言われています。
私はイエス様の恵みで罪に打ち勝ち、義に生きる経験を得させていただきました。
罪深く、義に生きることができない無力な私を主が憐れんでくださいました。
天に行くときには、イエス様に従った罪人は贖われ、罪の記録と記憶が消え去ると聖書には書いています。
罪に打ち勝つことは地上であろうと可能であって、イエス様を見続けて歩むのであれば、水の上だって歩けることを知りました。
水の上を歩けず溺れてしまった自分をイエス様は忘れさせてくださり、イエス様ご自身も赦して、忘れてくださることを見ることができました。
私は天国に行くことができるかわかりませんが、天国に最も近い人の1人に召されています。
イエス様に従い続けた私が再臨の日に主を見るときには、その罪を覚えていないのです。
そして、イエス様も私が犯した罪を忘れてくださり、
「わたしはあなたが何の罪を犯したのか覚えていない」とおっしゃってくださいます。
この世界は、悪口で満たされていますが、クリスチャンが徳のある言葉で満たしましょう。
この地から天国を始め、イエス・キリストの再臨を1日でも早く迎えましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?