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【読書感想文】『るん(笑)/酉島伝法』〜世界に置いて行かれる覚悟はあるか?〜

「あなたに常識はあるか?」
そう聞かれて、自信満々に「いいえ!」と答える人はほぼいないだろう。多くの人は、自分から常識が全く欠落しているとは思っていない。
しかし、この『るん(笑)』の世界で、あなたは非常識な人間になる。自分の常識が通用しない、ではない。非常識になってしまうのだ。
私は、2022年に読んだ小説の中で、この小説が一番怖かった。
それは、この小説が描いているのが、よくある「怪奇現象による恐怖」ではなく「信じている世界が崩落していく恐怖」であり、それが未知のものだったからだ。それはすなわち自分の常識が「非常識」な世界に飲み込まれる恐怖でもある。
この感想文を読んでいるあなたにもその奇妙な恐怖をぜひ体験してもらいたい。

・あらすじ

科学の発展が途絶え、スピリチュアルが蔓延した世界を描いた全三章の連作小説。
人々は電磁波から脳を守るためにアルミホイルを頭に巻き、ひとり婚式を挙げ、『龍』を信奉しながら生きている。
病気の原因は病院とクスリ。全ての病気は祈祷や手かざし、手作り水で癒える。暗い言葉は忌み言葉、ネガティブな事象も全部ポジティブな言い回しに変更すれば万事解決。人と人とが心の縁で結ばれ、全員が幸せなディストピア世界で奇異な日常が繰り広げられていく。
※以下感想文、ネタバレを含みます。

・登場するスピリチュアルの断片

ところで、私は趣味で陰謀論を読むタイプの人間である。そんな私が、この本に出てくるスピリチュアル事象をいくつかピックアップして解説していこう。
ちなみに、これらの行為・商品は空想のものではなく、いま私たちが生きている世界で実際に行ったり使ったりしている人がいるものである。

・マコモ風呂:マコモというイネ科の植物を液体状にし、入浴剤のように浴槽に入れて混ぜたもの。これにより浴槽のお湯は黒に近い茶色になる。そして、この風呂の何よりの特徴はお湯を入れ替えないことである。マコモ菌が他の雑菌の繁殖を防いでくれる(と信じている人がいる)ため、お湯を替えなくてもいいのである。長い人は数十年お風呂のお湯を取り換えていないらしい。
・紫イペ:南米の熱帯雨林に自生する広葉樹。その内部樹皮はとてつもなく豊富な健康成分が含まれており、どんな病気も治す(と信じている人がいる)。高級なものになると、樹皮の粉末が10グラムで2万円ぐらいする。
・胎盤食:そのままである。出産後、体外に排出された胎盤を持って帰って食べる。産後鬱になりにくくなる(と信じている人がいる)。

ウッ、と思ったそこのあなた。そう、あなただ。
読む気を失くさないでほしい。何故なら、この物語はそういう人にこそ一番響くはずだからだ。最初に行ったこれらの「非常識」に自分が飲み込まれる恐怖を一番味わえるのは、これらに抵抗のある人に他ならない。そしてその部分にこそこの物語の珠玉のエンターテイメント性がある。

次の項からはようやく私の感想である。

・序盤の感想

とっつき難い。
最初30ページを読んだ時点での私の感想である。いや、お前、ついさっき読む気失くすなって言ったやんけ、という声が聞こえてきそうだが、本当に序盤は読み進めるのに時間がかかった。
先ほど挙げたようなスピリチュアル世界が序盤からめくるめく展開されるため、読者は高確率で、物語から置いてけぼりになる。
あらすじ等に書いたスピリチュアル成分はこの小説に出てくるもののごくごく一部であり、実際の物語ではこの何倍ものスピリチュアル要素で形成された世界が読者の前に立ちはだかり、勝手に走り出すーーーーー。

何度も言うが、自分が趣味で陰謀論を読むタイプの人間で良かった。生まれて初めて思った。そうでなければ、この時点で挫折していた可能性は大いにある。

・しかし、中盤以降は…

しかし、その序盤を乗り越え、本を読み進めていくと、自分の感覚が変化していくのが分かる。当初感じていたとっつき難さが段々と恐怖に代わっているのだ。これは、タイトルにも書いた「世界に置いて行かれること」に対する恐怖である。
あらすじにも書いた通り、この物語は三章からなる連作小説なのだが、第二章は第一章の数年後の世界、第三章は第二章の数年後の世界、と章が進むにつれて時間の経過が発生する構成となっている。そして、各章で登場する主人公、そして世界そのものが、章が進むにつれてどんどんスピリチュアルにのめりこんでいく。
代表的な例を挙げれば、第一章では「微熱」とされていた38度の体温が第三章では「平熱」となっているし、第二章で登場した奇異な言語(「病気」は忌み言葉なので、やまいだれをとって「丙気」にする、等)によって第三章の世界では日本語そのものが破綻しかけている。

そして、読み進めるうちに気付いていく。スピリチュアルが強すぎてとっつき難いと思っていた第一章の世界ですら、スピリチュアルに変遷していく世界のほんの入り口であり、『ヤクザイシ』(クスリの売人)からクスリを買ってしまうような第一章主人公の土屋は、この世界では自分と感覚を共有できる数少ない人物だったことに。
話が進むにつれて、スピリチュアル世界へのとっつき難さを私と共有してくれる存在は物語からいなくなり、世界が自分の常識と異なる方向にスピードを上げて進んでいく。私は登場人物のだれにも寄り添われないまま、ひとりマイノリティになっていく。やがて、「とっつき難い変な世界」は「私を孤立させる不気味な世界」へと顔を変える。信じていた世界が崩落していくーーーーーーーーー。
ここまでくると、理解の及ばなさから中々物語を読み進められなかったかつての自分はどこへやら、冷える背筋がページをめくる手を進ませる。

更に、恐怖と同時に憐憫と同情も感じるようになる。これは、いま私が生きている現代世界で実際にスピリチュアルに嵌りきっているような、マイノリティの人たちへの憐憫と同情だ。物語中には、何度か現代世界的な常識を持つ人物や言動がみられるのだが、彼らは、無視され、馬鹿にされ、暴力にさらされる。今、マイノリティの感覚で生きている人たちは、私がこの物語に抱いているような気持ちで現実世界を眺めているのかもしれない、と感じさせられる。これが切なくてたまらない。

面白かった。もう一度読みたい。
この本を読み終わった私が抱いた感想である。
最初の感想とはほぼ真逆。
ページが進むにつれてのめりこんでいくというよりは、ページが進むにつれて引き離されていく面白さ。稀有な読書経験であった。



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