濃密な成長、その時|『ペンギン・ハイウェイ』/森見登美彦
圧倒的成長の話をしたい。
誰が言い出したかは知らないが、一昔前に求人広告(と言うよりそのパロディ)でちょこちょこ見かけたこのワード。異様に語呂が良く、漂うブラック企業臭から局地的に流行っていた、ような気がする。
「圧倒的成長を謳う企業に入ったので、圧倒的成長しました!」という体験談を聞いたことは残念ながらないけれど、人は確かに圧倒的成長をする瞬間がある、と思う。
成長とは年齢に伴う一次曲線ではない。どこかのタイミングできっかけがあり、成長する。そしてそのきっかけが大きいほど圧倒的な成長につながる。
私は最近に成長しているのだろうか。
そんな考えに至ったのは今回取り上げる『ペンギン・ハイウェイ』を読んだからである。
本作の主人公である小学四年生のアオヤマ君は、それはもう圧倒的に成長する。それもひと夏で。人間に訪れる濃密な成長の瞬間が、この小説では描かれる。そしてそのきっかけは、近所の歯科医院に努めるお姉さんがコーラの缶をペンギンに変えたこと。素晴らしいきっかけだ。
アオヤマ君はお姉さんがペンギンをなぜ生み出せるかを研究することで成長していく。物語の最初はただ勉強ができるだけの生意気な少年だったアオヤマ君は、研究の最中に世の中の理不尽にぶち当たる。その理不尽さがアオヤマ君を成長させる。「酸いも甘いも」の酸いの部分。人は理不尽を経験して大人になっていく。
最近の私の周りの理不尽一そう思いながら周りを見渡す。バタバタという足音が不意に耳をつく。
いた。理不尽の権化の化身が。2歳弱の我が息子。
「アンパンマン、見たい」と言い、アンパンマンが流れ始めた5秒後に「アンパンマン、やだー!」と泣き叫ぶ我が息子。
機嫌よくオレンジを食べていたはずなのに、突如オレンジを握りつぶし、果汁まみれの手絵本を取りに行く我が息子。
眠い、と言ってペッドに入ったはずなのにベッドの跳ねる感触でスイッチが入り突如狂気乱舞する我が息子。
愛しい我が息子。
そういえば、彼の成長は私の成長を促した。
主に危機管理能力とかを。
「子育てはTry&Error」なんて巷では言うけれど、世界には1Error=1Deathな事象に溢れている。そして彼は理不尽の権化の化身である。
信じられないかもしれないが、彼は「走っている自動車に接触したい」という願望を持っている。しかし親として、その願望を叶えるわけにはいかない。車の前に飛び出しそうな気配をいち早く察知して彼を抱き上げる。非常に不満そうな顔をされる。時には噛まれる。
まったく、命の恩人だぞ、こっちは。
気が付くと、バタバタという足音が増えている。顔を上げると、妻が息子を追いかけている。息子の手には妻の口紅。どうやらメイク中に盗まれたらしい。早く取り返さないと生ごみボックスに口紅を投げ入れられる可能性があるので、妻も必死である。
なんとか息子の手から口紅を奪い返す妻。膝から崩れ落ちる息子。あまりの情けなさに夫婦で顔を見合わせ笑う。
子供を持ったことで、夫婦共々、精神的にも成長した。
息子が生まれたばかりのころはちょっとの熱でオロオロし、股関節の骨が鳴っただけでアワアワしていた我々が、今や化粧品の争奪戦ができるほどになった。
図太くなっただけという噂もあるが、恐らく成長していると信じたい。
そして当然ながら、息子は私以上に成長している。号泣と排泄しかできなかった彼が、喋って走って食べて笑って号泣して排泄できるようになった。本物の圧倒的成長である。
ぺンギン・ハイウェイに話を戻そう。
繰り返しになるが、アオヤマ君も圧倒的に成長する。小学四年生の彼は私よりも息子の方が、年齢が近い。成長の余地が違う。
彼の周りにはひと夏の間におかしなことが沢山起こる。「ペンギン・ハイウェイ」とはペンギンが海から陸に上がる際、必ず通る道のことらしい。アオヤマ君はペンギン・ハイウェイを研究しながら大人へのハイウェイを走っていく。
大人のハイウェイをすでに走っている私だが、家族は私を加速させてくれる。いや、違うハイウェイに乗せてくれたのかもしれない。このハイウェイが行き着く先は私も分からない。死ぬことが約束されているだけだ。
生物最大の理不尽、死まで人は成長せざるを得ない。
はたして、それが圧倒的であらんことを。