掌編小説|あの日のままで
仕事が終わり、私は地下鉄の構内に入る前にコンビニへと立ち寄ることにした。甘いものと冷たい飲み物を少しだけ口にしたかった。
こういう無駄使いがあとから自分の首を絞めることになるのだろうけれど、少ない給料を節約したところでストレスになるだけ。自分を甘やかす理由ならいくらでも見つけられそうだった。
晩夏の夜。街にはまだ日中の猛烈な暑さが渦巻いていた。息苦しかった。
コンビニの前に立つと、自動ドアが開いた。熱気と冷気が入り混じって、妙な空気が生まれた。背筋がぞっとした。
店内にはあまり客がいなかった。店員たちはここぞとばかりに通路にコンテナをおいて品出しをしていた。
こういう時、自分が探している商品の辺りで品出しがされていると、私はつい遠慮して、終わるのを待って店内をうろうろするか、他のコンビニに行ってしまうことが多い。
今日は大丈夫だった。無事、お目当てのチョコレートを手にしてから、私は冷蔵庫の方に向かった。冷たいジャスミンティーが飲みたかった。
冷蔵庫の前には飲み物を探している男の人がいた。コーデュロイの青いショートパンツに白いシャツを合わせていた。私はその場を通り過ぎようとしたが、男の人が振り向いた瞬間に目が合ってしまった。
「すいません」彼はそう言って立ち去ろうとしたが、足を止めた。そして、穏やかな笑顔を私に向けた。待ち合わせの時、後ろから肩を掴んで驚かすと、彼がいつも笑ってくれたことを思い出した。
服装の趣味以外、昔から何一つ変わったことはないように思えた。自分が今どこにいるのか分からなくなりそうだった。私は何を言い出せばいいか分からずに固まってしまった。
「元気にしてた?」彼はためらいもなく私に尋ねてきた。
「うん、元気にしてるよ」そう私が答えると彼はまたにっこり笑った。
今日からまた彼との間に何かが始まるかもしれない。そう思うと、仕事の疲れで地の底まで沈んでいた私の心は、少しずつ上昇し始めた。しかし、「また近くに戻ってきたの?」と私が尋ねようとした矢先、女性の声が彼の名前を呼んだ。
「じゃあ、またね」彼の笑顔は少しだけ曇った。
もう一度だけ話しをしたかった。できることなら、二人でよく行った近くの喫茶店にでも移動して。しかし、彼を引き止めることはできなかった。結局、彼は何も飲み物を持っていかなかった。
彼が着ているのと同じような白いシャツを着た、小柄で可愛らしい女性が拗ねた様子で待っていた。私とはまるで違うタイプの女性。彼は一人じゃなかった。
彼は彼女の頭を撫で、わざわざ腕を組んでから、楽しげに出口へと向かっていった。私は二人が夜の街へ消えていく姿をただ見守ることしか出来なかった。
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