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初夏の清流通りは散歩道(後編)

山口県周南市鹿野地域の中心部を通る清流通り。
前編では、主に市役所鹿野総合支所近くのポイントを綴りました。
今回はそこから足を進めたところをご紹介します。

アサギマダラの舞うフジバカマ

10月になると、清流通りにもアサギマダラが。

市役所鹿野総合支所からスタートし、足もとを流れる水の流れをさかのぼりながら歩いていると、フジバカマが植えてあるエリアにたどり着きます。

7月の時点では花もない状態ですが、夏を越えて10月になると、この場所にも旅をするチョウ「アサギマダラ」が清流通りにもやって来ます。

以前投稿した金峰みたけ地区のように一面のフジバカマが植えられ、アサギマダラが乱舞する……というほどの様子を見ることはできませんが、それでもフワフワと舞うアサギマダラを、十分に楽しむことができますよ。

清流通りのフジバカマエリアは、自分が最初にアサギマダラを目にした場所でもあり、思い出に残っています。
噂には聞いていた旅する浅葱色のチョウを初めて見たとき、なんともいえない感動を味わったことを覚えています。

鹿野住民の心の寄り辺「二所山田神社」

鎮守の杜から見える、二所山田神社

明治時代、二所神社と山田神社を合祀した二所山田神社。
清流通りを歩いていくと、その参道と通りとが交わる場所にやって来ます。

この二所山田神社は、数々の神事を鹿野の住民と共に行っています。
先だって紹介した「夏越の大祓」も、神社の総代の皆さんなど、地域住民の力を借りて設置されたものになります。

青空の下の二所山田神社

中でも鹿野の地域みんなの力が集まるな、と感じられるのは、二所山田神社と合わせて境内に社を持つ菅原神社の祭である「鹿野天神祭」です。

防府市の天神祭と同じく、菅原道真を祭るこの祭は、各地区から、大名行列の様子を再現した奴道中やっこどうちゅう、菅原氏を迎える役人たちの様子を表した大行司だいぎょうじ小行司しょうぎょうじ、神様の乗った牛を表現したご神牛しんぎゅうなど、さまざまな出し物が町をにぎわせます。

そのような中で、特に勇壮で目を惹くのは、網代あじろ保存会の皆さんが、裸にさらしを巻いた裸坊はだかぼうとなり、人の身の丈よりも巨大な網代車を引きまわす網代です。

町の若者など有志一同によって行われるこの網代が走り抜けると、ぶわっと顔に風がぶち当たってきます。
注意しなければけがをしてしまうほど激しい動きが特徴的なこの網代の様子は、多くの写真愛好家の皆さんがこぞってシャッターを切る催しです。

広場で網代車を回す裸坊たち

この網代は、毎回参加者を募っています。
この巨大な網代車を引きまわすためには、多くの参加者が必要になります。天神祭の花形として網代車を一緒に引きまわしたい、という人は、ぜひ保存会に声をかけてみてくださいね。

参加をお待ちしています。

明治時代に男女平等をうたう「女子道」石碑 

二所山田神社参道のそばに建つ「女子道」の石碑

二所山田神社の参道と、清流通りとが交わる場所のすぐそばには、「女子道」と刻まれた石碑が建っています。この「女子道」という言葉はどういう由来のあるものなのでしょうか。

話は明治時代までさかのぼります。
当時の二所山田神社の宮司さんが、女性の自立のための全国組織である「大日本敬神婦人会」を設立しました。
その機関誌の名前が「女子道」である、と伝えられています。

明治時代と言えば、女性にとってはまだ参政権すらまともに認められているとは言い難いような世情であり、男尊女卑が当たり前であった時代。

そんな時代、世の中で起こりつつあった婦人運動の流れに呼応するように、この鹿野の地からも女性自立の動きがあったことは、大変驚くべきことであり、また時代の最先端をゆく考えが存在していたことを感じさせます。

参道には猿田彦大神の碑も

二所山田神社の参道にも猿田彦大神の名が

ちなみに、この参道の途中には、仁保津にほつの紹介記事でも取り上げた猿田彦大神の碑があります。

仁保津地区ほど立派な社が建っているわけでもなく、ただ名を刻まれた石碑があるのみではありますが、同じ鹿野の町の違う場所に、同じ神様を祭る場所があるというのも、興味深いなと思いました。

鹿野の生んだ音楽家 筑紫歌都子さんの石碑

筑紫歌都子さんの石碑

明治時代、鹿野の地で誕生した音楽家がいます。
昭和24年、琴の会である筑紫会を創設した筑紫歌都子ちくしかつこさん。

鹿野から福岡に渡り、会員数5万人にものぼるという巨大な会を創り上げ、170曲にも及ぶ作曲を行ったという筑紫さんの生誕地でもある鹿野では、かつて筑紫会の皆さんによる琴の演奏会も開かれていました。

今は新型コロナウイルスの影響もあるのか、演奏会は実施されていませんが、また美しい琴の音色が鹿野の地に響き渡る様子を、お伝えすることができるかもしれません。

国の登録文化財となった庭園を持つ漢陽寺

山門前に造られた「曹源一滴の庭」

清流通りの終点には、臨済宗の古刹である漢陽寺があります。
その興りが1374年までさかのぼる漢陽寺は、臨済宗の大本山である南禅寺の別格地とされるほどの名刹です。

国の登録文化財となった漢陽寺庭園のひとつ「曲水の庭」

詳しい話はまた別の機会に譲りたいと思いますが、この漢陽寺には、国の登録文化財となった6つの庭園があります。

著名な作庭家である重森三玲しげもりみれいが、当時の住職の熱い思いを受け取ったことで造られ始めたこの庭たち。
庭が造られ始めると、鹿野の住民たちも作庭に協力するようになったそうです。
当時の様子を写した写真からも、住民たちが力を合わせて工事をする様子がうかがえます。

工事の様子

漢陽寺裏山に掘り抜かれた潮音洞

潮音洞の出水口

この漢陽寺の裏山に、鹿野の地に水をもたらした用水路である潮音洞ちょうおんどうがあります。

この潮音洞から流れる水は、今も鹿野の大地を潤し続けています。暑い日にこの場所を訪れると、流れる水音や、日陰になった場所を吹きぬける涼しさに、ほっとした気分を味わうことができます。

今回は夏の訪問でしたが、おすすめの季節は秋。
出水口付近に植えられたモミジが紅葉し、とても見ごたえのある景色になるんですよ。

秋の潮音洞(2021年11月撮影)
水路の水にもモミジの赤色が反射していました。

季節をまたいで、また訪れたい場所

今回は主に7月、夏の写真を中心に使用してご紹介した清流通りですが、春や秋、冬にもまったく違う顔を見ることができる場所でもあります。

高原と水辺の涼を楽しめる夏の後は、モミジが真っ赤に染まる秋や、水車小屋が凍結するほどの寒さを感じられる冬もやってきます。

ぜひ、いろいろな季節に訪れてみてほしいなと思います。

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