見出し画像

将来のために続けられなかった天職


私は新卒から5年、間違いなく自分にとって天職だと感じていた職を勤め、そして自分の安定した人生のために辞めることにした。

私にとっての天職は「塾講師」。

大学を卒業したものの、予定していた大学院に進めないことになり就職活動をしていなかった私はリフレッシュも兼ねて軽くアルバイトをして、その間に就職活動をしていこうと決めた。

そこでやってみようと思ったのが、個別指導塾での講師。時給は塾講師としては安いと感じる設定だったが、未経験歓迎ということもあり応募した。

時期としては夏期講習の前くらいに面接に行き、即日採用された。大した研修もなく、暗中模索しながら最初の授業を任された。中学一年生の子の数学だった。

その子は数学の成績が他の科目に比べて落ちてしまったことで通塾し始めたばかりだった。お互いに塾に慣れていない状況だったが、マニュアル通りに宿題を見て、演習をさせて丸付けをして解説をして……といった具合に授業を進めたのを今でも鮮明に覚えている。

勤めていた塾では授業の様子をファイルに記載していく形式だったのだが、前の授業何回かでは「ミスが多いが大丈夫。文章題の演習をすべし」と書かれていた。しかし、塾講師の経験がなかった自分でもその子の計算方法はおかしいし、文章題以前の問題だったことは分かった。でも他の数学講師が気が付かないなんてことはあるのだろうかと疑問も同時に抱いた。

そして、その子に気に入ってもらえたようで、担当指名をしてもらうことになった。ここからはAと記載しようと思う。

結論から書くと、Aとは高校受験までの付き合いになり、無事に第一志望校に合格するところを見届けることとなった。


私が塾講師を勤めていて思っていたことは、同じ塾講師でも根本的な問題に気が付かない者は多いということだ。

数学講師が私の天職である、という前提の文章なので驕っていると感じられるかもしれない内容を書いていくが、私は何人もの担当生徒の数学の成績を上げてきた。

特に通塾者のボリュームゾーンである、数学の成績が並以下で「計算はできるけど文章題が苦手」と言って入塾してきた生徒を上の下くらいまでに何度も引き上げたと思う。

計算はできるけど文章題が苦手と言っている子のほとんど全員は計算ができていないのだ。

例えば、バスケをするのに止まってボールのパスが何とかできるくらいだったら走りながらパスなんてできないだろう。水泳でクロールをするのに水に顔をつけるのが精いっぱいだったら話にならないだろう。

数学も同じことである。計算が安定していないのに文章題なんてできるわけがない。

読んでいるあなたも「なに当たり前のことを書いてるんだ。」と恐らく思っているだろう。しかし悲しいかな、この分析に辿り着ける塾講師は意外と少ない。計算に難があることに気が付かずに、小手先のテクニックだけ教えてしまう講師は多い。

しかし、そういう講師でも偏差値の高い大学に合格していて、数学の問題を解く力なら私を上回っている者も多い。なのにどうして根本的な問題に気が付きにくいのか?それは単純な話だ。数学のできる講師は数学が得意だからだ。

某政治家のような表現をしてしまったが、つまり数学ができるけど講師に向かない者は、恐らく計算ができないという経験が少ないと考えられる。計算は当然のようにできるし、文章題などを理解することも容易だったから学ぶべきことが計算量短縮のテクニックくらいだったのだろう。

では私は計算も満足にできない時期があったのか?

答えはNOだ。以前noteに投稿したことがあるが、数学に対する感性は生まれつき人並み以上にはあったと思う。

公立小学校で四則演算のルールしか学んでいない状態でいきなり中学受験レベルの複雑な計算をさせられても全く問題がなかったレベルだし、中学高校で(勉強方法を強制させられて)数学の成績が低迷していたが(学校のやり方を無視して)自力で高校数学の勉強をしたらメキメキ伸びて数ヶ月でセンター試験8割レベルに持って行ったことがあるくらいには数学のセンスはある。

逆に言えば、人に数学を習って伸びたことがないと言っても過言ではないほど自分の感覚だよりで数学をやっていたのだが、不思議なほどに数学が苦手な生徒の課題点が手に取るように分かった。


話を戻すが、Aの他にも10人以上の生徒を担当し、優秀講師として表彰された。残念ながら初年度は専門外の英語などを担当していたこともあり表彰を逃してしまったが、2年目からは担当科目を算数数学のみに絞って3回表彰された。

Aは計算が安定しない、文章題の状況を理解できていないというところから始まり、成績は低迷こそしないものの一皮剥けるのにはかなりの時間を要した。

簡単にいえば、計算演習を毎日やってもらった。計算演習自体はほとんど担当生徒全員にやってもらったが、それぞれやり方が異なった。Aは毎日数字に触れないとすぐに計算の精度が落ちるのと、慌てる癖があったので少ない量を毎日丁寧にやってもらったが、ある生徒には特定のページを短い制限時間内に9割正解できるようになるまで練習してもらったりと生徒によって調整をしていた。

数学が苦手な子にとっての天敵、文章題や関数も基本のところで何となくの理解で終わらないように妥協せず、保護者にも「しばらくは応用問題は諦めて基本に徹します」と説明して徹底的にやってもらった。

もちろん全員に同じようにやっていたわけではない。数学の成績が揮わない子の中には、センスはあるけど勉強法が分かっていない,楽しみを全然見出せていない子もいる。そういう子に対しては、最低限これだけ解いてきてとエコな方法でやらせてみたり、上の学年のテキストを一緒に見て「今はまだグラフは真っ直ぐだけど、もうすぐギュンって曲がるよ!高校に入ると何回も曲がってグネグネになって心電図みたいになるから」みたいに面白おかしく話したりした。

全く同じ範囲でもその子の状況によってアプローチ方法を変えていく。私にとってはこれが楽しくて仕方なかった。しかも、複数回表彰されていたことから分かるように、成果としても表れていた。

Aは中学2年、3年になっても数学はあまり伸びなかった。正直な話、担当している生徒の中でも思考の柔軟性があまりなく、時間はかかるだろうと思っていた。しかしそれにしても芽が出るまで時間がかかった。

とうとうAの数学が人並み以上になったのは中学3年の2学期だった。

公立高校受験をしたことがある人、深く関わったことがある人は分かると思うが、高校受験の問題は数学が頭一つ抜けて難しい。数学が得意科目でない子にとって、中学の定期テスト対策では到底歯が立たないような難易度となっている。(受験問題が難しいのか、定期テストで難しい問題を解けなくても授業態度などでカバーすれば4を取れてしまうのが問題かはひとまず置いておこう)

今まで定期テストで80点取っていた子が模試で6割も取れず、そのまま大きく伸びることもなく受験本番を迎えることも少なくない。しかし、そんな中Aは模試が始まって最初こそ躓いたものの、取り組み方を教えたら7割~8割で最後まで安定してくれた。

私としては基本60点台、調子が良ければ70点取れるくらいにはなれるかなと予想していたので、嬉しい誤算だ。積み重ねてきた計算演習、必死に練習した文章題の立式、丁寧にグラフを読む練習…これらが繋がって2年越しに花開くこととなったのだ。

そして晴れて第一志望校に送り出すことができた。

中学1,2年で応用を捨ててでも基礎固めに徹する方針を信じてくれたAやAの保護者には感謝してもしきれない。いくら講師の腕が良くても結局は生徒と保護者との信頼が何より重要だから。


私自身が楽しくて成果もしっかり出ている、これを天職と呼ばすして何と呼ぶだろう?


しかし、Aの受験が終わって1年あまりで私は塾講師を辞めた。

楽しくなかったからではない。塾でも評価されていたし、順風満帆だった。

そう、最初に書いた通り肩書としてはアルバイトだったのだ。楽しくてつい5年もやってしまったが、本来はどこかで正社員として働くまでの繋ぎとして考えていた。

塾講師としての正社員は多くない上に、指導以外の業務がかなりのウェイトを占めるようになることが多い。ごく一部のカリスマ講師などは違うかもしれないが、しょせんは5年アルバイトをしていた若輩者。井の中の蛙にもほどがある存在に望める立場ではない。

今は正社員として働いているが、あの頃と比べると退屈だ。労力に対する収入はかなり上がった。まだまだ下っ端だから責任も重くない。理不尽な上司の巣窟というわけでもないし、定時で帰れることが多い。社会的立場やお金稼ぎの手段としては前職と比べるまでもない。

それでも先に経験してしまった"天職"が今でも恋しくて仕方ない。またいつか数学に伸び悩んでいる子の助けをできる日が来るように、改めて将来を思い描く。


#天職だと感じた瞬間

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?