映画「ガープの世界」で知った”生きる意味”
昨日友人が趣味でやっているバンドの動画が流れてきました。
その中にビートルズの「When I'm Sixty-For」がありました。
この曲は私の大好きなナンバー。
曲調も歌詞もほのぼのしていて、ユーモラスでとても可愛らしい。
”Mine forever more
Will you still need me?
Will you still feed me?
When I'm sixty-for"
(永遠に僕のものになって
ずっと僕を必要としてる?
ずっとごはん作ってくれる?
僕が64歳になってもさ)
って、これはプロポーズの曲ですね♡
ライブ動画を見て、思い出した。
この曲は、私がこよなく愛する映画「ガープの世界」のオープニングでも使われています。
「ガープの世界」は原作は米国の作家「ジョン・アーヴィング」の小説。
映画は1982年制作。
主演は名優ロビン・ウィリアムズ。
冒頭の、ビートルズの曲に合わせて赤ちゃんが青空を昇降するシーンは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
実はジョン・アーヴィングはこの映画を見るまで読んだことがなくて、この映画を観たあとに原作を読みたくなったのでした。
けっこう長いんだ、これが。
でも、一気に読んで、号泣。
映画を観て号泣、小説を読んで号泣。
何が私に、私のどこに刺さったのか。
実は何十年経った今でもよくわからない。
よくわかんないけど、この作品が確実に私の人生観を変えてくれたことは間違いない。
概要はというと。
結婚はしたくないけれど子供は持ちたかったガープの母親。
とんでもない方法で母親になる(これは映画で見ていただきたい)。
その後フェミニズムのリーダーとして崇拝されるようになる。
ガープは風変わりな子供時代を過ごして、やがて小説家になり家庭を持つが、一見円満なようでいても波風は立つ。
それはやがて家族の死という悲劇につながる。
ガープの人生がほのぼのとした明るい情景で綴られる中に、社会が抱える暴力やフェミニズムやジェンダーや不倫や、なんかいろんなものがごっちゃに混ざっている感じ。
テーマはなんなんだろ?って思うけれど、それらがバランスよく混ざっているので、
「あ、現実の社会ってこうだよね。自分が気になるテーマをピックアップしているからそれが目立つだけで、実際の社会はいろんなものが混沌としているんだよね。」
って気付かされる。
この混沌とした感覚が、何が私に刺さったのかよくわかんないけどとにかく刺さった、っていう理由かもしれない。
この映画を観た当時の私は、なーんか日々モヤモヤしていた。
ちょっと迷子になってた。
「人生ってなんだろう?
人はなぜ生きるのかしら。
生きる意味ってなんだろう?」
などと、いい大人がまるで中学生のようにフワフワしてた。
仏教の本やスピリチュアルな本を読んでみたり。
宇宙人のチャネリングに興味を持ったり。
そんなころ、この映画「ガープの世界」に出会って、散々泣いたあとに閃いた。
「なぜ生きるのか?」
それは
「生まれてきたからだ!」
って。オウム真理教が台頭していたころだったので、うっかり入信しなくて本当に良かった。危なかった。
ガープの人生って
なんかフツーじゃない突拍子もないことが次々と
それは自業自得であるかもしれないし
他人のせいであるかもしれないけど
とにかく物事は絶え間なく起こって
原因とか理由とかを追求する暇もなく
はっきりと解決することもなく
でも悲しみながら喜びながら時間を重ねていって
最後もなんか理不尽な感じで命を落とす
(詳細はぜひ映画で観ていただきたい)
というジェットコースターみたいな人生。
でも、彼は確実に生きていた。
何かを成し遂げたかどうかなんてわかんないけど、確かに生きた。
よく考えたらそれって誰しも同じだよね。
人は皆自分の身に起こった出来事を、全て一個ずつ解決なんてしちゃいない。
時が解決してくれることもあるだろうし、一生の宿題として持ち続けてそのまま死んでいくこともあるだろう。
自分の意思とは別に起こったことをも受け入れて、忘れて、また何かが起こって、そんなことを繰り返していくうちに、人生を全うしてしまうのだ、たぶん。
いくつ笑えたか、いくつ怒ったか、いくつ泣いたか、その重なりが人生なんだろう。
それを十分味わうことが生きるってことなんじゃないの。
いろんなことがあったって、人生は実にシンプルだ。
ってことをね、この映画で知ったんです。
そして、何十年もそのスタンスでなんとかやってきたんです。
正直なところ、いろんなことに追われて迷子になってる余裕すらなかったんだけど。
成し遂げられなかったことへの後悔も引きずって、それもまた人生。
これからも多分、この感じで私は生きていくと思う。
今、ちょっと迷子になってる方がいたら、ぜひこの映画を観ていただきたいなって思います。