50歳くらいで「私の仕事」が見つけられたらいいと思う。
苦しいこともあったけど、比較的恵まれた20代だったと思う。
希望する仕事、夢だった「書くこと」に打ち込んで、昼夜もなく働いた。
寝る間がなくても、職場で嫌がらせを受けても気にならなかった。
自分の原稿のために深夜も休日も働くのは苦痛じゃなかったし、なんでも器用にこなしてくいくタイプじゃない私にとって、自分の目で物事を確かめて、伝えていくことは唯一、情熱を持てるいとなみだったと思う。
30代。その仕事をばさっと捨ててしまった。
理由は、上司との折り合いの悪さや負担の大きさで、数カ月で体重が7キロも減るほど追い詰められたこと。
「仕事は好きだけど職場が嫌い」というやつだ。
31歳の私は、「仕事」と「職場」を天秤にかけ、「職場」を選ぶことにした。
持続可能で働きやすい環境と引き換えに、身を粉にして作品を絞り出すような「情熱」を失った。
平坦で優しく、苦しみも喜びもない職業生活を、割と気に入っている。
その一方で、寝食忘れて打ち込めるものを失うことは、進むべき方向やアイデンティティを失うことでもあるのだと実感している。
この世に生まれてきたのだから、何かを残したい、時間と心を燃やしていたい。別に大袈裟な志がなくても、そう思う人は少なくないのではないか。
子供じみているかもしれないけど、多くの人が言わなくても心に大切に抱えている欲求だと思う。
あのまま、苦しくても好きな仕事を続けていたら、自分はこれを成し遂げるために生まれてきたと思える瞬間があったかもしれない。たらればだけど、そんな思いに駆られてしまうことがある。
今もあの現場で頑張っている友人や同期の活躍が目に飛び込んでくると、小さく心が焦げつくこともある。
でもその焦げつきが小さなもので済んでいるのは、やはり「自分が決めたから」というところが大きい。
その決断が間違っていても、後悔を伴うものでも、自分の選択ならそこに納得はあるものだ。
今は、そんな「私の仕事探し」を長いスパンで考えることにしている。
成果をあせらず、誰のものでもない自分の人生を一歩ずつ、時に偶然や縁に身を任せながら歩んでいこうと思う。
そんなふうにして、50歳くらいの時に、「私の仕事」が見つかっていれば、御の字なのである。
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