
ふつうな私のクリエイター人生
私の仕事は、普通の服を作ることだ。
「これ〇〇のブランドの服だよ」って言えば20代〜30代くらいの日本人女性なら大体誰でも知ってるようなブランドで服のデザインをしている。
派手じゃないけど、程よくおしゃれ。
無難だけど地味じゃない。
その「普通」を狙うことが、私の仕事のど真ん中であり、求められてることだ。
そんな私が好きな本の一つが、益田ミリさんの「普通な私のゆるゆる作家生活」。
タイトルの通り、益田さんは自分のことを「普通の人」だと書いている。
普通な日常を普通な目線で描きながらも、どこかキラリと光る発見があって、
読みながらクスッと笑えて「なんか分かる」としみじみする。
こういう目線を持った作家さんが好きで、更にはちょっと自分のことを振り返ってしまう。
「普通」っていうのはクリエイターにとって勝手に“短所”だと思っていた。
特にファッションの専門学校に通っている時は
抜きん出た才能を持っている子やぶっ飛んだ思想の子もいて、
奇抜なアイデアや斬新なデザインでみんなを驚かせるタイプのクリエイターを見ると、「私ってクリエイターに向いてないのかも」なんて思ったりしてた。
でも、最近はその「普通」がむしろ武器なんじゃないかって思えるようになった。
だって、私がデザインする服を求めているのは、普通の人たちだから。
普通にオフィスに行く人、
普通に友達とランチに行く人、
普通にスーパーで野菜を選ぶ人。
そういう普通の人たちが「あ、これいいかも」って思ってもらえる服を作るのが、私の仕事だ。
それが私自身の「普通」とぴったりリンクしている。
奇をてらったデザインじゃなくて、ちょっとセンスがいいくらいの、肩肘張らないデザイン。
それがちょうどいいのだ。
普通であることの強みは、普通の人の気持ちが分かることだと思う。
自分を一人の消費者だと思って考えると、何が欲しいかは意外とシンプルに見えてくる。
ロジカルとクリエイティブを程よいバランスで取り入れて、「これくらいがちょうどいいよね」というところを目指せるのは、きっと私が普通だからだ。
もちろん、奇抜なものを求められるブランドだったら、私は力を発揮できないかもしれない。
だけど、今の私の居場所では「普通」が最強の武器になる。
むしろ、この性質がラッキーだとさえ思える。
益田ミリさんのこのエッセイに共感できるのも、きっと同じ理由だ。
彼女も自分の「普通」を大事にしながら、日常の中で見つけたちょっとした面白さや温かさを作品にしている。
そういう視点が、多くの普通の人たちの心に届くんだと思う。
それに本人も「普通さ」を強みにしているし、そんな自分を理解して上手に作品に落とし込んでいる。
だから私も、この「普通」を大事にしていきたい。
ちなみに、普通な私の周りには、ちょっと変わった人たちがいる。
たとえば旦那。あと、親友。
彼らは独特な視点を持っていて、よく私を笑わせてくれたり驚かせたりしてくれる。
ちょっと風変わりな人たちがいるから、普通な私はすごくバランスよくいられる。
それがまた楽しいのだ。
普通であること。それは昔、コンプレックスだったけれど、今では最高のメリットだ。
これからも「普通」を味方にして、日常に溶け込むものづくりを続けていきたい。