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渋谷君への手紙~初夢の深層心理

渋谷君

明けましておめでとうございます。

夏は一般公開もしているガルダ湖畔の妻の実家の館で年末年始を過ごしています。

早や60歳代も終盤になった年の正月となりました。

気はまるで変わりません。体もあちこちでガタがきていますが至って元気です。しかし、年齢を考えると、この先いつ何が起きてもおかしくないのだと自分に言い聞かせています。

ところで

芥川賞の最年長受賞記録は70歳と信じていたのですが、実はそれは75歳が正しいと先日知りました。

すごいですね。高齢になっても新鮮な感覚(多分)の小説が書けるという才能は。

僕も若いころから下手な小説を書いています。そういう若者の常で23歳までに芥川賞を取るつもりでした。が、ダメでした。

ところが25歳で「小説新潮」の月間新人賞佳作にまぐれ当たりしました。

その頃は小説家は諦めて、映画屋またテレビ屋として食べていこうと考え、ロンドンの映画学校で学んでいました。

「小説新潮」の月間新人賞にはロンドンから応募したのです。

ご存じのように「小説新潮」は直木賞及びエンターテイメント系の小説雑誌です。

東京での学生時代の僕の人生設計は、前述のように23歳までに芥川賞を取り、その後はエンターテイメント小説でがっぽり儲ける、というものでしたから狂喜しました(笑)。

僕はロンドン中のありたけの友人を呼び集め、日本から送られてきた賞金で安ワインを大量に買って、お祝いに飲んで騒ぎました。

ささやかな成功で「いっぱしの作家気分」を味わった僕は、小説書きはとりあえず脇に置いておいて、当時面白かった映画制作の勉強に夢中になって行きました。

やがてプロのテレビ屋となりドキュメンタリーや報道系番組の制作に奔走しました。

そんな日々の中でも、小説を書くことに関しては僕は根拠の無い自信にあふれていました。

また少しは書いてもいました。やっとこさで仕上げた作品が文芸雑誌に掲載されたこともありました。

しかし、ほとんどの場合は仕上げまでに至らず、書きかけの原稿がホコリにまれていく時間が過ぎました。

やがて僕は、思い通りに書かないのは“書けない”からであり、それは才能不足が原因、という当たり前の事実に気づきます。

それと同時に根拠がいっぱいの自信喪失の穴の中に落ちていきました。

そんな折、SNSに出会いました。

僕はそこを通して再び書くことの喜びを知りました。記事やエッセイやもの思いを書き続けるうち、小説を書きたいという気持ちも頭をもたげました。

だが新作には至らず、つまり新作は書けず、過去に書き損じていた作品を推敲し直してまとめ、SNS上に恐る恐る投稿するという形で今日まできました。

そんな時間が続くある日、つまり昨晩、僕は芥川賞最年長受賞記録に挑戦しようと決意する初夢を見ました。

今の記録である75歳まではまだ時間があるので、そこまでは文章修行に打ちこみ、76歳から挑戦しようというのです。

そこに行くまでに、どなたかが例えば80歳で受賞などと記録を伸ばしてくださるなら、どうぞ。と僕は歓迎します。

なぜならその場合は僕の目標は81歳となり、またチャンスが広がるからです。

最年少受賞記録を塗り替えるのは大変ですが、最年長受賞記録はたやすい。なにしろ記録年齢の数字を越えればいつでもOK、ということですから。

つまりタイムリミットがありません。

最悪の場合は生きている間には取れなくてもいいということですね。

もしも来世で取れればますます良い。

なぜなら生きていた時よりも、死んでいる年数の分さらに年を取っているわけですから、最年長受賞記録をもっとさらに大幅に更新、ということになります。

いやぁ、実にやり甲斐のある挑戦だなぁ。胸がふるえます。

などと武者震いをしながら僕は初夢から覚めました。

でもね

実は芥川賞は挑むものではなく、向こうが勝手にくれるもの。なので何もせず、寝て果報を待つことにします。

そんな訳でことしは何作の小説が書けるか分かりませんが、もしも書きあげたらお知らせします。

もしかしたら芥川賞受賞作品かもしれない僕の幻の小説を見逃さないように、いつも緊張しながら気をつけて見ていてくださいね。


へてからに

本年もよろしくお願い申し上げます。

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