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宇宙の真理に触れたい             【 わたしはわたしを生きる 10 】

ようこそ
わたしのParadise(楽園)へ

わたしが生きている "今ここ" こそが、
たとえどんな状況であったとしても
この世のParadise(楽園)である

地球という3次元の世界で、
身体を持つからこそ
初めて体験できることを、
色々と体験したくて、
何がなんでもやってみたくて、
わざわざ、
この地球に生まれてきている

だから、全ての体験は必然であり、
わたしにとっては全てが最善
あれもこれも、結局、
やりたくてやっているのよ

そのことを思い出して、
まずは現状を受け入れてみる

そこで、
どんな体験をしたいのかな
今、
どんな感情を味わっているのかな
それで自分の魂は
何を学ぼうとしているのかな

誰しもが、
自分だけのParadiseを生きている

今世、わたしの魂が選んだ
この人生と、この身体と心を
思い切り、愛して可愛がって、
自由に、心豊かに生きていくための、
わたしなりのメソッド

さらに素敵な、
自分だけのParadiseを創り出す

※※※※
わたしのParadiseは、
常に安心感・幸福感を感じられる
感性とともにあるもの

====================

「人生何が起きても大丈夫!」
夫の鬱も、娘の不登校も、
わたし自身の強烈な自己否定も、
ぜ〜んぶ大丈夫でした♡

ぜんぶが大丈夫になった
わたしのセキララストーリー

※2017年に書いていたブログを
 2021年の今、振り返りつつ、
 再掲載しています。


【 わたしはわたしを生きる 10 】

アーユルヴェーダを学ぶうちに、
当然のことながら
ヨーガについても興味がわいてきて。

インドで伝承されてきた【ヴェーダ】
(世界最古の書物であり、
人々を幸せへと導く知識であり、
すべての学問の基礎と言われる)

たくさんある【ヴェーダ】のうちのひとつが
アーウルヴェーダ:【生命の科学】であり、
それは日常生活を通して、
健康で幸せな人生を送る為の
膨大な知識であり、
身体の扱い方を学ぶもの。

そしてヨーガは
肉体を使って核心に入り、
心の扱い方を学ぶもの。

 「心と身体の両方から
自分を探求することが
真理に繋がる・・」

というようなお話を聞いたら、
やっぱり両方勉強したくなるよね。

わたしはどうしても
「真理」という響きに惹かれてしまう。

アーユルヴェーダの初級認定講座で
同期だった友人が、
ヨーガ二ケタンで学んだ
「ヨーガ療法士」だったご縁もあり、
わたしもヨーガ二ケタンの門を叩きました。
 
過去には、
いわゆるヨガスタジオにも
しばらく通っていたことはあるけれど
なんかちょっと違うな〜
と思って。
 
二ケタンで学ぶうちに、自分が
なぜ「違う」と感じたのかわかった。

余談だけど、
福岡の二ケタンが
自宅から徒歩で行ける距離にあったのには
心底びっくりした。

「こりゃ絶対行かなきゃ!」
と思った。

と言っても、
いきなり「ヨーガ療法士」ではなく
まずヨーガについて、
理論やアーサナの基礎の基礎を学び
「ヨーガインストラクター」を目指すコース。

月1回の講座で約1年間。
内容は、座学とヨーガ実習が
朝から夕方までみっちりと。

「ポーズありきのヨガ」ではなく、
まずは「心の在り方や生き方」
たくさんのことを
教えていただいた。

(ポーズのヨガから入っても
自ずと心へと向かうだろうから、
人それぞれのタイミングで
どちらの入り口から
入るかということですね)

これまた、
毎回のレポートが大変だった〜

抽象的にしか見えないような教えを、
より具体的に理解するために、
自分の実体験と絡めて見つめ直す。

自分の内面とか、
忘れたくて
消し去ろうとしている過去とか、
炙り出されるような課題・・

それらを、一緒に学ぶ仲間と
共有しあうことで、

お互いの考え方の違いに氣がついたり、
新しい考えに触れて、
凝り固まっていた自分の記憶が
書き換えられたり、
新しい見方ができるようになることが
ものすごく新鮮だった。
 
課題については、やっぱり
いつもギリギリにしか着手せず
(夏休みの宿題と一緒〜)

いつも前日に徹夜でパソコンを打ちながら
「も〜わたしのおバカ!
1ヶ月も時間があるのに
なんで早めにできないのよ〜」と
毎回自分を心で罵っていた。

結局、終始ずっとそれだったな。

卒論とか死ぬかと思ったわ。
(早くやれば良いだけなんだけど・・)

月1回の講座には、
娘も同伴で行き(近所だから)
わたしが講義を受けている間は、
娘も裏方のお手伝いなどさせてもらって、
色々お世話になり可愛がってもらいました。

それにしても、
あんなに勉強嫌いだったわたしがね〜

毎回の講義の内容は、
もちろん初めて教えてもらうものだけど、
なんというか

「あぁ、そういうことだったのか・・」
と自分の内面にすでにあったものとを
摺り合わせていくような、
そんな不思議な感覚をいつも覚えていた。

さらには
「えーーーーそうなの!?」
と、今までわたしが信じて来たことが
180度ひっくりかえるような

びっくりするようなことが
さらりと
聖典に書いてあったりとかもしたし。

「ヨーガは智慧の海」
「ヨーガは実践の科学」

「幸福がどこにあるのか」
そのヒントについて
知ることができたということは
本当に大きなギフトだった。

しかし、それを知っていても
日々ザワザワする訳ですけれども〜
「まだまだ修行が足らん」
というやつですな。

だからヨーガには
一生を懸ける
価値があるのだろうなと思う。

わたしは入り口を
ちょろちょろとしてるだけだけど、
ヨーガの教えを
心のベースにしつつ、
細く長く楽しく。

つづく。

【  2017年 9月2日 投稿 】

【  2021年 4月12日 追記 】

ヨーガの教えの中には
「え、それ言っていいの?」
みたいなことが
結構書いてあるのですよね〜

ざわざわするということは、
自分が無意識に、
常識と固定概念に縛られているという証。

その点からも、
ヨーガの教えは
宇宙からの教えに他ならない、と感じます。

直感で、
無条件に惹かれるものは、
間違いがない。
強烈なものほど。


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