
楽で愉しい生き方って? 【 わたしはわたしを生きる 14 】
ようこそ
わたしのParadise(楽園)へ
わたしが生きている "今ここ" こそが、
たとえどんな状況であったとしても
この世のParadise(楽園)である
地球という3次元の世界で、
身体を持つからこそ
初めて体験できることを、
色々と体験したくて、
何がなんでもやってみたくて、
わざわざ、
この地球に生まれてきている
だから、全ての体験は必然であり、
わたしにとっては全てが最善
あれもこれも、結局、
やりたくてやっているのよ
そのことを思い出して、
まずは現状を受け入れてみる
そこで、
どんな体験をしたいのかな
今、
どんな感情を味わっているのかな
それで自分の魂は
何を学ぼうとしているのかな
誰しもが、
自分だけのParadiseを生きている
今世、わたしの魂が選んだ
この人生と、この身体と心を
思い切り、愛して可愛がって、
自由に、心豊かに生きていくための、
わたしなりのメソッド
さらに素敵な、
自分だけのParadiseを創り出す
※※※※
わたしのParadiseは、
常に安心感・幸福感を感じられる
感性とともにあるもの
====================
「人生何が起きても大丈夫!」
夫の鬱も、娘の不登校も、
わたし自身の強烈な自己否定も、
ぜ〜んぶ大丈夫でした♡
ぜんぶが大丈夫になった
わたしのセキララストーリー
※2017年に書いていたブログを
2021年の今、振り返りつつ、
再掲載しています。
【 わたしはわたしを生きる 14 】
ある日、身体から
「もう無理です」との
サインが出たので、
その飲食のお仕事は辞めました。
「心と身体」って
本当に直結してますね
まるでシャットダウン。
そういえば、
昔、会社を辞めた時も
同じような状況だったよな。
関係者には
申し訳ないと思いつつも、
「人間は迷惑をかけずには
生きられない・・
たとえ迷惑をかけたとしても、
わたしはもう
これをやりたくないんだ」
と覚悟をして
「もう嫌われてもいいや」
「ごめんなさい」と思いながら
辞めさせていただいた。
その後は
すぐにちゃんと後任が決まり、
結果
「わたしがいなくても
大丈夫だったなぁ」
とホッとした。
(いや、確実に迷惑はかけましたけどね)
「また期待はずれだと思われたかなぁ・・」
と自分を責めたりもしたし、
罪悪感もいっぱいだったけれど、
とにかく氣持ちが楽になったので
「わたしにとっては
それが一番良かったんだ!」
と思うようにした。
辞めたあとも
そこで関わっていた方々とは
おつきあいは続いているし、
結果、嫌われはしなかった模様。
その体験から感じたことは
「たとえ、人に嫌われてもいいから
これからはとにかく
自分の氣持ちを最優先させよう」
ということ。
そして、
「これからは
本当にやりたいことをやろう」
と心に決めた。
そして
「やりたくないことは
絶対にやらない」
ということも心に決めた。
後日談としては、
わたしが仕事を辞めてすぐに
旦那氏の新たな転職先が決まり
家族で関東へ移住することにしたので
その為の準備で
わたしはすっかり忙しくなったのでした。
仕事を辞めるタイミングというのは
なるべくしての流れ・・
だったのですね。
つづく。
【 2017年 9月4日 投稿 】
【 2021年 4月16日 追記 】
「やりたくないことはやらない」は
基本の大前提なんだけど、
好きなことを
夢中でやり続けて行く途中には、
自分が苦手だと思ってることにも
挑戦したりすることはままあるよね、
と最近は思う。
ドルフィン先生の言う「楽で愉しい」は
楽だけでもダメ、
愉しいだけでもダメ。
わたしは基本ナマケモノなので、
" 楽 " だけで生きていたいと思いがちだけど
きっとそれだけじゃ物足りなくなるよね。
" 愉しい " には、
何かに挑戦して乗り越えて行くとか、
そういうことを面白がる要素が
含まれているのだと思っている。
それこそが、
この世界で身体を持ってる意味だし、
色々体験できるもんね。
それでも、結局は意識の世界なので、
「やりたいことをやる」と
自分が決めてしまえばいいし、
「何が起きても大丈夫」と
自分が決めてしまえば
そういう世界を体験するだけなのだ。