京都
昨日は落ち込んでしまいそうだったので絶対にからふね屋でパフェを食べると決心して四条河原町へ。
電車に揺られながら椎名林檎の幸福論を聴いて泣いたりした。
ボックス席には窓際の私とその斜め前のおばさんしか座っていなくて、そのおばさんが足をピンと伸ばし続けていたから誰も隣に座って来なかった。
普段ならマナー悪いなあとか思ったんだろうけど、この時はちょっとありがたかった。
18番出口から大丸の前に出て街中を歩き出すと、やっぱり私は京都が好きだと思った。
形のある理由を挙げようと思えばヴィレヴァンやWEGOがデカいから。とか、イオンシネマみたいなのじゃなくって、出町座やアップリンクみたいな映画館があるからとかそんな感じになる。
それもそうなんだけど、やっぱり街の空気感がとても好きだ。
京都駅から烏丸線に乗り換える時、改札の向こうのガラス越しに聳える京都タワーが好きだ。私が京都を好きな理由はこの京都タワーなのかもしれない。
音楽を聴きながら街を歩くとき、私は毎回映画の主人公になったような気分になる。
何かを背負い込んでいる憂鬱感のような、逆に何かを発散してしまった喪失感のような……それらの感情に少しだけ満足感が混ざったような気持ちになる。なぜだかいつもそうやってラストシーンやエンディングを演じてしまう。
こういう陶酔は本当に心地よくて、自分が不幸でも幸福でも全部綺麗なものとして昇華できる気がする。自分に対するハッタリのようなものだ。
BOOKOFFで欲しいCDと本を一通り探して若林さんの『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』をだけ買った。
タワーレコードで極東飯店かPK shampooどっちのアルバムを買うか、店内で流れ続けるジャニーズの曲を聞きながら迷った。
Apple Musicのサブスクには入っているけれど、家に両親のCDが大量にあることとか、そのCDを必ず何枚か選んでからドライブに行っていたことなどから、私にとってCDは大切な思い出の形というかなんというか、特別な存在だった。
結局PK shampooのCDを買った。このCDもまた一生の思い出になるんだろうな。
からふね屋に着くと店長っぽい人がちょっと怖い雰囲気で、店内も暗いしなんだか落ち着かなかった。パフェの店なのにぼったくられそうな雰囲気だった。でもパフェは美味しかった。私の心はまだ満たされなかった。
誰でもいいから話したい気分だった。友達とかに会わないかな〜とか考えながら店を出てヴィレヴァンに向かった。地図アプリなんて要らなかった。
ホテルキーのガチャガチャが店の前にあって、それを買うかどうか店内を見ながら考えた。そして何も買わずに店を出てもう一度そのガチャガチャを見つめていると、どうやら実寸大ではないということがわかり、やめた。
そうして次は三条大橋に向かった。ベンチがある場所がそこしか思いつかなかったのもあるけど、なんだか鴨川が見たくなったのだ。
川の音、人の声、車の音、風。全てが心地いい。どこからか流れてくるタバコの匂いも嫌じゃなかった。私はさっき買った若林さんの本を1時間くらい読み続けた。いつの間にか心のモヤモヤは消えていた。目の前にあった百日紅の写真をカメラで撮る。道路の向こう側にある薄い色の百日紅も撮りたくなって、私は本をカバンにしまった。
Fさんの『いつか別れる、でもそれは今日ではない』という本に『感性を死守するということ』という項目がある。そこには確か「カメラを持って街を歩け」という言葉が載っていた。私はこの言葉を思い出して、今、私が私の感性を、私を必死に守りたがっていることに気がついた。
中学生の頃に繰り返し繰り返し読んでいたこの人生のサバイバル術を体が記憶していたんだと思う。
何枚か写真を撮った後、私は四条駅に向かった。
私の京都は金閣寺でも、銀閣寺でも、嵐山でも、宇治でもない。京都タワーで、鴨川で、BOOKOFFで、タワーレコードだ。そしてあのゲームセンターだ。
帰りの電車でくるりの東京を聴いた。もう泣かなかった。