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サイコパス診断を全て暗記してみせた。〜おまけ〜最近モヤモヤする事が多い

1.サイコパス診断を全て暗記した経緯

サイコパス診断というものを知っているだろうか。

アンケート形式で、いくつかの質問に答えていくと自分がサイコパスかサイコパスではないかが診断される診断ゲームである。(僕が小学校高学年だった8年ほど前に流行ったような気がする。)

小学生の中では、サイコパスであると診断されると、クラスメイトからアブノーマルな人と認定され、クラスの中で異質的で目立つ存在になれるので、あえてサイコパスっぽい選択をする風潮が確かに存在した。

僕たちの学校も例に漏れず、サイコパス診断が流行り、皆サイコパスと診断されることを目指していた。

ある日の放課後、友人宅に5、6人で集まり、そこでサイコパス診断をしようという遊びに誘われた。

当時の僕も、サイコパスと診断されたいと思っていたので、学校のパソコンでサイコパス診断と検索し、サイコパスと診断されるべく、サイコパスの予習をした。

僕の小学校はお昼休みのみパソコン室が開放されており、当時の僕は内向的で見栄っ張りな性格で、『友達がいないやつ』や『暇なやつ』だと思われたくなかったため、図書館とパソコン室を交互に通っていた。

とにかく自分にはやる事があるとアピールしていたと思う。(この性格は今でも恐らく、完治はしていない。)

そのこともあって、常連と化していた僕は、すんなりとパソコン室でサイコパスの予習をする事ができた。

予習の内容は、まず、選択式の問題をノートに書き出し、片っ端から一つ一つ回答して、サイコパスと診断されるルートを発見し、そのルートを何度も再現して暗記した。当時、サイコパス診断と検索して、出てくるサイトは5、6個だったため、意外とすんなり全てのサイトのサイコパスルートを見つけ出し暗記する事ができた。

2.頑張って暗記したことを友達の前で披露した。

そして、放課後を迎え、友達とサイコパス診断を行った。僕が初めて、サイコパスと診断された時の友達の反応は

うわ〜こわぁ、たまたまじゃない?

の2通りの反応だった。この反応は、場がしらけないようにリアクションを取りつつ、たまたまであると思っていることを伝えたいのだと思う。

しかし、僕がサイコパスと診断される回数が増えるにつれて友達の反応は徐々に変化していった。

始めはリアクションを取ってくれていたお調子者も、だんだん深妙そうな面持ちになり、たまたまだと言う曲者もちゃちゃを入れなくなった。(今思うと飽きていたのだろう。)

僕が何度もサイコパスだと診断されたことにより、皆、僕が本当にサイコパスだと思い込み始め、空気が重くなり、場がしらけつつあった。

友達にサイコパスと思われることは不本意だし、なんか予習したことの罪悪感みたいなものがあったので、僕は休み時間にサイコパス診断を全て暗記していたことを告白した。

皆の反応は僕が予想していた

なんだよ〜、びびったじゃねぇーかぁ

的な、軽いノリではなく、沈黙であった。あ、スベっちゃったのかなと瞬間的に思った。

その後、友達とひとしきり遊んで、家に帰った。

その帰り道、僕が何度もサイコパスだと診断されたことよりも、サイコパスと診断されるルートを全て暗記したという行為のほうが、よっぽどサイコパスっぽいことに気づいた。しかし、気づいた時が遅く、僕がずるをしたことと、本当に変なやつだという事が学校中に広まってしまった。

結果的に、僕は小学校を卒業するまで、図書館とパソコン室の常連であり続けることとなってしまった。ポジティブな出来事といえば、卒業の際に一年間に1番、本を借りたことを表彰された事である。(ミステリー小説ばかり読んでいたので、サイコパス感を強める結果となってしまったのだが。)

3.〜おまけ〜最近モヤモヤする事が多い


僕は大学に入りバイトをしていない。(長期休みの時はバイトをしている。)

理由は、成績を取る事が1番重要なんじゃないかという、価値観を持って大学に通っているからである。また、絶対に行きたい研究室があり、成績で足切りされたくないとも思っている。(親が頑張っているからという恩恵を忘れてはならないが。)

そのため、馬鹿なりにほどほどの成績をキープしており、成績に満足している。生活と学業が十分充実していると思っている。

しかし、数日前、友人と話している時に、

「お前バイトしてないのか、めっちゃ楽してるじゃん。くそじゃん、親の脛かじりすぎでしょ。」

と、冗談混じりに言われた。僕はヘラヘラして、その場がしらけないように、負け顔をした。ムッとして、ベラベラ喋っても、いい事がないことを知っているから。

ほんのり悪口になるかもしれないが、その彼は、実家暮らしで、成績は僕と比べるとかなり悪い。

そうなると、一人暮らしで、良い成績をキープしようと日々勉学に取り組んでいる僕と、大変さでは大差ないのではないかと、ずっとモヤモヤしていた。

親の脛をかじっていることは否定できないが、実家で家賃を払っているのか?食費は払っているのか?バイト代は生活費ではなく、遊ぶ資金ではないのか?と、一日中、悶々と考えていた。

このモヤモヤについて、僕は家に帰り作業をしながらぼんやりと考え続けた。

そして、一つの結論に至った。それは、人間全員ものさしが違うという簡単な事である。

僕と彼の持っているものさしが違ったのである。

一人一人、違うものさしを持って、より大きい数値になるよう努力していると思う。だからこそ、そのものさしが、歪んでいて、寸法がめちゃめちゃなことを忘れてはいけないのだと思う。

僕は小さい頃から、なにかと負ける事が多かった。勝つという経験をあまりしてこなかったせいで、いつからか、勝つことに対する執着を失っていた。そのため、負けず嫌いな性格ではなく、独自の目標を立てて、その目標が達成できたかどうかを気にする性格が形成された。

相手と自分を比べるという、行動を自然としてこなかったのである。相手に勝とうが、負けようが僕の興味の範疇ではないから。

彼は、自分の持っているものさしで、僕の数値を測り、バカにした。ムッとはしたが、怒ってはいない。突発的な冗談だろうし、自分のものさしが正確であると信じて疑っていないと思うから。自分がどんなに正確なものさしを持っていても、相手が歪んだものさしを持っているかもしれないということを知らないのだろう。

このことから、僕は自分のものさしを表に出すことはやめようと思った。懐にしまい、自分だけをひっそりと測ろうと思う。

最近、モヤモヤすことが多い。ものさしをおおっぴらにする人が多すぎる。僕のように、大きく湾曲したものさしを持っている人間は常に生きづらさと、戦わなければならない。でも、正確なものさしを持ち、数値が浮き彫ることよりはマシだと、思うので贅沢は言わない。



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