彼に貸したお金が「高い勉強代」になるまでの話⑨「可哀想な人」
変だ。
もう3月なのに。
彼からの帰ってくるという連絡がない。
私は、心の中では激しい感情が渦巻くのに、実際の彼への態度は生温いものだった。
今思えば、一体どうなっているのか!と激しく伝えても、良かったのかもしれない。
だが、当時の私の思いは中途半端であった。
相手にも見えない事情がある。むやみやたらにあれこれ聞くのはよそうと思っていた。
そして、嫌な予感は的中する。
「12万円、貸してくれないよね。。」
私は会社にいた。エレベーターから出た時に読んだ。
彼の言葉に一気に頭に血がのぼる。
冗談であってほしかった。
こんな冗談言われても、激昂するが。
「あの、夜職とかやってると思ってます?」
「思ってないよ」
「何に使うの?」
「初期費用と交通費」
お前のATMじゃない。
言葉は悪いが、本当にそう思った。
ATMならまだマシだ。相手から手数料を取れるのだから。
ちなみに、初期費用とは家の初期費用だという。
そして交通費とは何かと聞くと、新幹線代だというのだ。
ちょっと待てと、私は実際に、福岡に行った際に交通費は往復で4万以内に収めた。
時期も関係していたかと思うが、新幹線よりはるかに安かったのだ。
この、彼から連絡がきたときもそうだ。飛行機の方が安かった。
私は我慢ができず、飛行機代の方が安いという説明を含め、彼を詰めた。
「貸してって、人から借りるお金だよね?安く済む手段とか調べようと思わないの?」
「それに、まず、私の家に戻ると思っていたのに、初期費用ってなんでまたそんなお金がかかることを。」
追いLINEがとまらない。
彼は最後の1文のみに答えた。
「そんなご迷惑かけられないよ」
こやつ、終わっていると思った。
倫理観がおかしすぎる。迷惑の基準はなんだ。散々お金で迷惑かけてきて、安く済ませようと、なるべく借りないようにしようと、頭を使って、考えることはしないのか。
ぽこすか人にお金を借りること=迷惑をかけているという自覚がないのか?
「お金貸すより、部屋貸した方がよっぽど迷惑じゃない」
私は言った。
「はい」
彼は、要望が通らないと、対話を強制終了させる。
だが、私もその真理に執着していた。
はっきりしない状況、結局相手は何がしたいのか。そこへの執着で彼に「半分出すから残りは稼いでくれ」と言った。
彼は「ごめんね」と言う。
その言葉はもううんざりだ。
だが、その代わり、残り6万円を稼いだら、しっかり報告するように念押しした。
私も、貸す側の権利をおおいに利用し始めていた。
やってあげたのだから、教えて。
助けてくれないなら、教えない。
この堂々巡りから抜け出せなくなっていく。
案の定、彼から残り6万円を稼いだ報告はなかった。
もう5月になっていた。GW前だった。
「ちょっとびっくりさせられることがある!」と彼からメッセージがきた。
これまでと違い、やけに上機嫌のように思えた。
さすがに、それは気になってしまう。
それは嬉しいことかと聞くと、そうだ と言う。
だが、続けてお決まりのこの言葉だ。
「GW前には戻りたかったんだけどね。。」
呆れた。この言い方はもうパターンが読めていたが、敢えて乗ってみた。
「まだ戻れてないの?」
「うん。。まだ終わってないから」
何が終わっていないというのか。
もうわかっている、金だろう。
私に見透かされているにも関わらず、同情を誘うようなこの言い方が気に食わない。
「もう、助けてくれないの?」
ふざけている。
私は、彼の中での「助ける」=お金を貸すことはもうしない。
私は「お金以外の助ける方法」を何度も提案したが、彼はお金以外の方法はありがた迷惑のようだ。
彼は、助けてもらえないのなら、いちいち説明をするのは時間の無駄だとも言っていた。
そして、他愛もないメッセージでさえも「探りにきてるのもわかってる」と言うのだ。
借りた側が、人を信用できなくなってどうする。
とことん悲劇の男に、可哀想な自分になろうとしているのが目に見えて、心底彼が嫌になる。
私もこの「助けてくれないよね」に疲れ始めていた。
ずる賢いやり方。
福岡での件は、確かに私の行動だ。
だが、それがあったからこそ、彼はお金を手に入れることができた。
私も、彼と同じだった。自分だけが頑張っていると思う気持ちがますます強くなった。
彼は、今、このやり取りの中で自分が望んでいるもの(お金)が叶わないとわかると、手のひらを返したかのように、素っ気ない言葉になる。
私は心の中で「俺様キングダム」という彼へのあだ名をつけた。
そうして、ふざけて、苛立つ気持ちを紛らわす。私の人間関係における悪い習慣だった。
以前から、彼に限らず、何かと人から当たられやすい自分だと感じることはあった。
当たりが強いと感じると、心の中では激しい感情や悲しみが渦巻くが、表面的には指摘するまでもないと思ってしまう。
敢えて面白おかしく変換し、いじってみたり、笑い話にしてみたり。
そうすることで、自分の中の感情を消化できると思っていた。
だが、それでは根本的な解決にはなっていなかった。
自分が何に対して怒りを感じ、
許せないものはなんなのか、
自分の「悲しみ」「寂しさ」「怒り」といった感情がわからなくなり、それらの感情を認めることが難しくなってしまっていた。
彼との話を笑いながら友人に話した時、
「みこの笑いは自制だね。」と言われた時は、わかってもらえたという嬉しさと、
でも、強くあらねばという思いで、笑いながら泣いていた。いよいよ情緒崩壊の始まりである。
父と兄が殴り合い、怒鳴り合っていても、自分の心を乱さないよう、線引きをする。
笑って、「また始まったよ」と言って、恐れを誤魔化す。
兄が死んでも、保育園のこどもたちの前では笑顔でいなければならない。
同僚の先生たちに気を遣わせてはならない。
穴をあけた分、より頑張るべきだ。
悲しみに浸っている場合ではない。
悲しみを見て見ぬふりをする。
結婚詐欺のような彼に3度もお金を貸し、雑な扱いを受けたとしても、「これだから年下は甘えん坊だな~」と笑ってごまかす。
相手にされない、真剣に向き合ってもらえない寂しさを抑え込む。
一人になると、その分、涙がとまらない。
私は「可哀想な人」なんかじゃない。
「可哀想」だと思われるのが、何よりも嫌だったのだ。
⑩に続きます。