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時短勤務も、急な休みも取れるけど

ワーママ仲間と話をしていると「職場に配慮はあるんだけどね…」という声を聴くことがあります。
配慮があるのに、何が不満なのか?今日は「…」に含まれるもやもやについて考えてみました。


1.働きやすい制度=頑張ったことへのご褒美?

「今まで頑張ったからね、時短でいいよ」
「これまでよくやってきてくれたから、勤怠も柔軟に対応しましょう」

自分が当事者になってからは、これらの言葉をありがたく感じる一方で、違和感を感じるようにもなりました。

確かに、職場には負担をかける人がいますので、私も以前はこういう言葉を言っていたような気もします。

しかし、これらの言葉を受ける側になると「それぞれの家庭らしく育児をすること、自分らしく仕事をすることは、誰かの許可がないとできないのだろうか」という気持ちも生まれるようになりました。

核家族での育児とフルタイムの両立は、個人の努力だけでは解決できない問題です。

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職場の人に悪意はないのはわかっていますが、「なぜ子供を育てながら働くことが『特例』扱いになるのだろうと、疑問を持つようにもなりました。

2.マイノリティへの配慮<コスト感

・情報共有は個別にしないので、適当に議事録読んでおいてね
・勤続が長いんだから、空気を読んでうまく働いてもらえると嬉しいな
・報奨は食事会、出られない人には報奨はないよ

時短勤務や子供の急な発熱にお休みがもらえる環境であっても、上記のようなことはよくあります。

「時短で迷惑かけているし」「働かせてもらっているし」と飲み込んでいる方も多いと思うのですが、これらの状況が時短勤務者に与えるメッセージは「時短勤務者を受け入れるのはいいけど、手間をかけたくない」ではないかと感じています。

3.透けて見える「同じように出来ないのだから」

「皆を同じようにできない=手間がかかる」に対し「ちょっとくらい我慢しなよ(我慢しなきゃ)、皆と同じようにできないのだから」と思う気持ちはワーママにも、それを受け入れる側にもあると思います。

受け入れる側(皆と同じようにできている人)からすると、それは一時的な感情かもしれません。
しかし、ワーママには、小さくとも1つづつ積み重なっています。

世のトレンドになりつつある「多様性を重んじ、個性を大事にしよう」という意見を見聞きするたびに「皆と同じようにできないことは悪く…ないんだよね。」という気持ちと、「ちょっとくらい我慢しなよ(我慢しなきゃ)、皆と同じようにできないのだから」という気持ちの板挟みに合う、それが冒頭の「配慮はあるんだけどね…」の「…」の気持ちなのではないかと思いました。

4.傷つけているのは、他者のあり方を決める価値観

これは個人の受け取り方の問題、言葉尻でしょう、と思っていた時期もありましたが、自分が当事者になってみると、言葉ではなく、価値観に傷つくのだということがよくわかりました。

1つ1つの言動に傷ついているのではない、「皆と同じようにできないのだからしょうがないでしょう」という価値観に、日常の些細な所で傷つけられ、言動の1つ1つは小さいからこそ声を上げにくい。

これは、ワーママだけでなく、マイノリティとなる人が傷ついていると声を上げている根幹なのではないかと気が付きました。

価値観は様々で良いと思うのですが、それは自分がどう在りたいかという部分に関してのことであり、他人に「皆と同じようにできないのだから我慢しなさい」と在り方を決め、主張を萎縮させるような価値観は、人を傷つけるのだと思います。

ワーママ仲間の「…」から、価値観、マイノリティについて、整理できた気がします。

社会で暮らしていると自分がマジョリティにも、マイノリティにもなる場面はあります。
全ての価値観は尊重されるべきですが、その価値観は自分の行動に対してなのかどうかはいつも意識して確認していかないといけないなと思いました。


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