羽二重餅の皮膚
目の具合がずっとよろしくない。
アレルギー性結膜炎、網膜前膜、白内障。視野狭窄、初期の緑内障、眼圧が高くてドライアイ。
症状としては眼球が痛む、室内の光も眩く、左目だけでものをみると白くぼんやりしていて像を結ばないし月などみると七色に傘がかかっていたりする。
仕事が憂鬱になる。
仕事内容ではなくてフルタイムでパソコンのツインモニターを凝視するのがきつい。
負けず嫌いは損だよな。
無理をして仕事を続けた結果、裸眼で過ごすことがオフィスで無理になり、ついに室長に許可をもらって色つきメガネ(ただのサングラスではなく遮光レンズに大金はたいて替えている)でただでさえガラの悪い服装なのに顔にはでかい深いバイオレットなグレーのレンズのメガネまでかけている。
見た目はガラが悪いを通り越して
あやしい女と化している
知らない人がみたらふざけた女だと思うだろう。まー中身がふざけているので問題ない。許可が下りたし医師の勧めだからだ。
大きめのサングラスをレンズを取り替えてかけた私の顔はわずかに残している母の写真の面影に余計に似てきてしまった。
彼女は右目が弱視のため、それをきにするようになり、やはり色つきメガネをかけていた。
♢♢♢
母がメガネを外し、髪をゆわえる。
「今日は疲れたからゆー、マッサージしてパラフィンのパックして」
実践しないと技術もあがらない。
リクライニングチェアに体を沈めて目を閉じている母。
母の顔をスチームのタオルで蒸らしてコールドクリームで優しい指遣いを、と皮膚に触れる。母はすでにアラカンで今の私とかわらなかった。
シミのない透き通った皮膚。
他の女性の顔の皮膚に触れることも多かったが母の皮膚の感触は羽二重餅の求肥のように柔らかだった。
「ハリがなくなって嫌ね」
お手入れの最中、母がポツリとつぶやく。確かに以前より柔らかく薄くなっていた。より丁寧にあつかわねば、とコールドクリームをまた蒸しタオルでそおっとぬぐう。
温めていたパラフィンを母の手の甲に塗り
「熱くない?」
「熱くない熱くない」
目の上に化粧水を含ませたコットンをのせ、上から下にパラフィンを塗っていく。
「ゆー、美容液混ぜてくれた?」
「混ぜた。ビタミンもいれた」
今度は横にハケを、また横に、それから顔全体をむらなくパラフィンで覆う。首まで覆う。頚椎のあたりにホットタオルをいれ、肩や腕を揉んで手の甲や指先まで優しく流す。
私はイランイランやバラが好きだが母はラベンダーが好きだった。部屋はラベンダーの精油をお湯に落としてキャンドルで温めていた。
そっとパラフィンの殻を持ち上げると上気した桃色の頬があらわれる。
丁寧に優しく化粧水を押さえて。
クリームをつけてお手入れは終わる。
「あぁすっきりしたわぁ。ゆーにこれやらせて(エステやメイクの仕事)ママよかったわぁ」
ん、と曖昧な返事をしながら疎ましく、それから嬉しく照れくさくて。
今の私は当時の母と同じ年齢になった。
負けず嫌いは母譲りだろうな。
色メガネを外してそっと皮膚に触れてみる。
パラフィンのパックなんてしないけど。高い美容液なんて買えないけど。プチプラの化粧水使っているけど。
母と条件は違うのに…。
まったく人生も似てないのに…。
皮膚の感触は当時の母そっくりな羽二重餅の柔らかさ。ハリや弾力は10年前より無くなりつつあったがこんなに質感までにてきたのかと鏡の前でため息がこぼれた。
来年還暦かぁ。
職業柄、死化粧を彼女に施したのも娘の私の役割だった。
すっかり冷たくなっていた母の皮膚はやはり羽二重餅のように柔らかだった。
それから私はメイクの仕事を畳んだ。
鏡に話しかけて色つきメガネをかける。
面差しも羽二重餅も、そして色つきメガネをかけた顔は母にますます良くにてきた気がする。
わざわざ実家に荷物をとりに行った際、娘のアルバムや両親の写真がごちゃごちゃにしまわれていたのでランダムに持ち出したら娘のはほとんどなくて母の写真がたくさんあったが全部色つきメガネをかけている。
眺めることはあまりない。
今の私は母に髪色以外そっくりだから。
ねぇ、ハリがなくなってイヤだわ
母の言い回しを真似てみた。
頬に伝う涙を手の甲でぬぐう。
羽二重餅の皮膚を伝う涙が今更か、今更なのかってばかりに溢れる。
会いたいよ。ママ?
お母さん、私はあなたにそっくりなんですよ。
おもざしがそっくりなんですよママ。
ゆー。
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