優しい記憶
小さな頃から藤の花が大好きだった。
未だ嫁いでいなかった父の妹、叔母と散歩をしていて。まだ、私は本当に小さな子供の頃、母はあまりかまってはくれず、祖母のお守りや叔母たちと過ごす時間が長かった。
道々、途中の果物屋さんにはアイスクリームのショーケースがあって、叔母はいつも雪印のアイスクリームを小さな私に買ってくれていて。
どれを買うのかはちゃんとわかっていたのに「どれがいい?」と毎回ショーケースを覗いて中を見せてくれていた。
イチゴ。
他にもバニラだとかもっと違うアイスキャンディーはあるのに決まって私はカップに入ったイチゴのアイスクリームを選ぶ。
「二つください」同じアイスを叔母も買う。
私はその叔母が大好きだった。手を繋いで歩いていて公園に着く。
今頃の季節は昼間はほんのり汗ばむくらいで。児童公園の隅にある藤棚のベンチに腰かけると、カチカチだったアイスクリームはスッ、と木のスプーンが柔らかくアイスをすくえた。
この季節がやって来ると毎年、その優しい記憶がよみがえってくる。
いい匂いするね。きれいね。
藤棚の下は涼しくて。甘酸っぱい藤棚の花が香る。
紙の蓋を開けたらアイスクリームのイチゴの香りが混ざる。
綺麗な紫のグラデーション。甘いアイスクリーム。「溶けるよ?」叔母が笑っている。
おうちにもあればいいなぁ、このお花、ねぇ。
アイスクリームと藤の花と叔母の長い髪の緩やかなウエーブからほんのり香るいい匂いがミックスされていて。
「美味しい?」
うん、おいしい、また明日も来たい。
わかった、明日もお散歩しようね、と服がよごれないように、と私の小さな膝に叔母がハンカチをかけてくれて。
アイスを食べ終わるとブランコに乗る。そしてまた、藤棚の下に行き、叔母と藤の花を見上げる。
いい匂いするね、きれいね。 藤、ってブドウみたいだね。
叔母は、「そうね、ブドウみたいね。にてるね、うん。」とぼんやりうっとり藤を見ている小さな姪の手をとり、また明日も来ようかね、と笑っている。いつまでも見飽きるまで藤を二人で眺めていて。
帰ろうか、ねぇ、ゆー、と促されてからようやく、うん、とうなずく。
帰り道はゆっくり公園を一周してからもうじきこのアカシアも咲くよ、と教えてくれた叔母。
知らない人が私たちをみて、あら、よく似た親子、とつぶやく。
叔母はにこにこしていた。
毎年、毎年、藤の紫を見ると若い頃の叔母と遊んでもらった優しい記憶が思い出される。
しばらくしてから叔母はお嫁さんに行き、遠くに行く、って聞いてからひどくさみしくて嫌だ、って祖母に言って少しべそをかいた。
たまに帰ってくるときはいつもおしゃれなお菓子をたくさん買って帰ってくれたけど、やっぱり、あの雪印のイチゴのアイスクリームの方がおいしかった、って思っていた。
ブドウみたいね、って笑っていた叔母は藤の花みたいないい匂いがしていて。
私はその優しい記憶を手繰り寄せるように藤を見に行く。祖母、叔母たちと過ごした楽しくて優しい時間が忘れられなくて。
藤の花はやはりこの季節しか咲かない。
紫の花は高貴で優しくて。
また明日も来ようかね、を思い出したくて毎年のように藤を見に行く。
私の穏やかな優しい記憶を大切にしたい。涼やかな藤棚の下に小さな頃の幸せな優しい記憶を。
また来年会いましょうね、大好きなお花の藤の花さん、と心につぶやいて名残惜しいな、と藤棚をふりかえり振り返りして川面にそよぐ藤の香りを吸い込んで。帰りたくないな、ってセンチメンタルになってしまう日曜日のおだやかな昼下がりのひとときだった。
季節がうつろう。歳もとる。花は毎年毎回違った花を咲かせてくれる。お散歩しながら季節を感じて空をあおいで。笑おう。優しい記憶ににっこりできる人生を送りたいな、と思う。
ゆー。
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