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舞台
「私たちにできることは、この人生という
舞台の上で与えられた役割を演じることだけだ」
すごく昔に聞いた言葉。
たしか、高校生の時、授業で先生が
言ってたんだっけ。
どうしてそんな言葉を言ってたんだっけ。
先生にもっと聞いておけばよかったな。
どうしたら上手く演じきることができますか。
心を殺せば、役に徹することができますか。
思い通りにいかないことばかりなのは、
嫌ってほど今まで思い知らされてきたのに、
なぜ、歯痒くなってしまうんだろう。
理不尽なんて当然だし、人間なんて使い捨てで
代わりは腐るほどいることなんて、
いまさら嘆くことじゃないのにな。
朝、目が覚めると、眩しい陽の光が
差し込んでいた。
眠りを遮ってくる鬱陶しい白い光も、
これだけは等しく私たちに降り注ぐものだと
思うと、泣きそうになる。
彼は朝早くから病院に行っていた。
ダブルベットがやけに広く感じて、
居心地の悪さが吐きそうで
すぐに起き上がって、病院はどう?と
連絡を送る。
異様な空腹感が襲ってきた。
試しに体重計に乗ってみると
いつもよりだいぶ軽い。
何か食べようと思っていたけど、
数字を見たら、これを増やすのは
惜しい気がして、
冷蔵庫じゃなく煙草の箱を開ける。
私と彼は社内恋愛だ。
前の彼とも社内恋愛だった。
その前の彼も、お互い学生の頃
バイト先で出会った。
私は働きに行く場所で、なにをしてるんだろう。
でも職場恋愛なんて珍しいことじゃないし
犯罪でもないし後ろめたさを感じる必要はない
はずなのに、責められている気がするのは
どうしてだろう。
会社員という役割を演じきれていないからかな。
だからやじが飛んでくるんだろうか。
「私たちにできることは、与えられた役割を
演じることだけ」
先生、言っている意味が今になって分かったよ。
上がる舞台も、何の役を演じるかも、
私たちは何ひとつ選択できないんだね。
舞台を降りることさえできない。
職場では会社員を、親の前では娘を、
恋人の前では恋人を、友人の前では友人を、
演じる。
演じる代わりに、少なからず
相手も演じてくれる。
演じてあげることが愛情なのかもしれない。
演じてもらえることが、愛してもらっている
ということなのかもしれない。
母も、母を演じてくれている。
彼も、恋人を演じてくれている。
だから、関係は壊れずにいる。
舞台を成り立たせるには、必須なんだな。
私だけが役を降りようなんて、
バチが当たって当然か。
泣くな。泣くところじゃない。
笑え、笑え、笑えと笑顔を貼り付ける。
崩すな。私情なんて挟んだら、
役がぶれる。
だけど自分が演じれば演じるほど、
好き勝手に演じている奴らが許せないし、
必死な自分が馬鹿らしくなる。
好き勝手演じている奴らは何様なんだろう。
私の見えていないところで、本当に
ちゃんとバチが当たっているのかな。
夜、彼が流していた動画から
天才とは、自分と他人の違いを明確に
知る者のことだ、というセリフが再生される。
天才になんてならなくていいけど、
自分と他人の違いを明確に知る者、という
言葉は頭に残った。
私には、全くわからない。
自分と他人の違い。
他人と他人の違いもわからない。
見分けがつかない。
どれも大して変わらない。
だけどひとつわかる。
私の中だけにある、彼と、彼以外の違い。
彼にだけは、死なないでいてほしいと思う。
親が死んでも、受け入れる。
友達が死んでも、受け入れる。
きっと私は受け入れて生きて死んでいく。
その他大勢の他人なんてもっとどうでもいい。
誰が死んでもいいし、勝手に死ねばいい。
けど彼だけは、永遠に存在してほしい。
誰が死んでも、私が死んでも。
そんな風に思う。
もしかしたら違いってそういうことじゃない
って言われるのかな。
こんな私の思いだけじゃ、不十分かな。
自由で、不自由で、真っ直ぐで、捻くれてて
あったかくてつめたくて、優しい。
賢いのに、優しさが邪魔して合理的に動けない。
演じられるくせに演じないことを選ぶ。
言葉を頑なに遠ざけて行動で伝えてくる。
私が不安に襲われてたら
「大丈夫って自分に暗示かけたらいいんだよ、
ほら、大丈夫大丈夫!」って笑う。
そんな彼が好きだと思ったことを
忘れないでいたい。
ここだけは、他の誰も見ていない、
私たち2人だけの舞台。
そこで、私は私になれる。
ここでだけ、私は役を降りられる。
そして彼にとってもそうだったらいい。
そんなことを願ってしまう。