妻夫木聡の「伝える力」綾野剛の「読ませる力」
映画「怒り」の東京を舞台にしている部分は、妻夫木聡と綾野剛が演じるゲイカップルのラブストーリーだ。二人はほとんど正反対と言っても良いような特長を持つ俳優さんで、その対比が面白い。
映画公開前に、妻夫木聡が写っている劇中カットが公開された。ただ笑っているだけなのに、
「あ、これ、原作のあの部分だな」
と分かった(映像で確認したらやっぱりそうだった)
表情一つでその時の状況や感情を伝えてしまうというのはすごい演技力だと思う。
一方で綾野剛はひたすら何を考えているのか分からない。まるで批判しているみたいだけど、「怒り」の中での彼の役としては大正解の演技。何しろそのせいで、
「殺人犯なのでは?」
と疑われちゃうのだから。
何かを「表現する」という時、普通はまず妻夫木聡の方向で努力するのではないだろうか。受け取った側が苦労せずに理解出来るよう、伝えるべきことをはっきりと形にしてみせる。
綾野剛は感情を表現していないのではない。どの場面でも、複数の思いを重ねたような顔をしている。物言いたげであると同時に、ずっと何かを押し殺している。
思わず引き寄せられ、
「この人は心に何を抱えているのだろう?」
と隠された事情を読み取ろうとしてしまう。
妻夫木聡のような「伝える力」を完璧に身に付けるのも、熟達が必要で大変なことだ。けれども綾野剛の「読ませる力」はさらに貴重である気がする。たいていは伝えるものを明確にしていく過程で、曖昧なものは切り捨てられてしまうから。
俳優の演技だけではなく、あらゆる表現には「伝える力」と「読ませる力」の両方が必要なのだと思う。私の文章はどうだろう。伝えるための努力はしている。でも、読ませるためにどうしたら良いかは全然分からない。
綾野剛ってすごい、妻夫木聡だってすごい、と、全く違う表現の力に憧れながら二人を見ている。