江戸東京たてもの園、再び
先週、平日一人休暇の日を取っていた。その穏やかな晴れの日は、夜になり寝ようと目を閉じても、まだ赤と黄色の綾が見えていたくらいに、赤と黄色だらけの一日だった。
前回は暑い時期に友人たちと行った場所。友人たちとは半分くらいしか見終わらなかった。再訪という話になっていた。
休暇にしていた日は、風もなく暖かい穏やかな晴れの日。お天気に誘われて行く気になった。何度行っても、きっと飽きないだろうと思う場所でもある。既に全体を見終えた友人もいる。
行って大正解だった。バスを降り、たてもの園がある公園の西口付近を眺めた途端、テンションが上がった。
とても鮮やかな紅葉や黄葉が多い、秋色のグラデーション。
その日は結局、紅葉を楽しんだのか建築を楽しんだのか、不明な一日だった。紅葉狩りは目的に入っていなかったのだが。
その日の写真の枚数は239枚。多過ぎて、何のエラーを含んだ枚数なんだ、と考えてしまった。が、単純にその枚数を撮ってきたらしい。
単純なメモとしての写真、撮り直しただけの似た構図も含むとはいえ驚いた。というか、その枚数を見るのか、補正する枚数も多いんじゃないか、と気が遠くなった。前回も、そんな枚数だったのか。
その日の写真全体をざっと眺めても、紅葉や黄葉がたくさん写っている。それほど見たなら、赤と黄色が、目にも焼き付くだろう。
紅葉を楽しむ日は、先週末の科博の自然教育園だけでも、満足に終了したと思っていたのだが。
自然教育園とは趣旨が違う場所なので、どちらの方が良かった、と比べられるものではない。が、鮮やかな赤や黄色の量は多く、近づける場所が多かったので、その彩りに圧倒されるくらいだった。
朝に弱く出遅れていた私としては、そろそろ、たてもの園に向かわないと、と視線も足も舗装路に戻ろうとしたところ… 自分が落ち葉で工作されていたことに気づいた。きれいに作ってくれてありがとう、という気分で撮った。
※ 今回は記事を分割せず、写真の多い長い記事になっています。サラリと気になったところだけ、眺めていただけると幸いです。
自然教育園と隣接する、庭園美術館で楽しんだ茶室は「光華」という名前。たてもの園入口のビジターセンターは、光華殿という旧称。光華繋がりだと思い、何が繋がっているのか見比べられるものなのか、と思ったりしながら向かった。
が、旧光華殿の外観は、工事中で全く見えない。どちらも元は皇室の建築。
頭上から降る、鮮やかな色の落葉も幸せに眺めた。上の写真にも、赤いモミジの手前に黄色い葉が写った。
ハケ。よくわからないのだが、小金井辺りの特徴ある地形ではないだろうか。庭園のような場所だった。
園内に入ったものの、建物は完全スルー。
まずはランチと思っていた、という話ではある。
が、美しい紅葉には、しっかり足を止めていた。
食べ終えた頃には、日差しの傾き加減が変わり、印象が大きく変わってしまうだろう、と思われた。
いくら暖かい日で、秋コートで心地良く過ごしたとはいえ、冬の日差しの角度は急。少しの時間の変化でも印象が変わっていく。
温かい、ゆばとじうどんのランチの後。
ようやく建築に目を向け始めた。前回、時間が足りなかった東ゾーン。
三省堂は、サンセイドウと毎度読んでしまうのだが、サンショウドウ。
そばの建物付近には、秋らしい植物が並んでいた。その光景もまた、時代感を伝えていた。鉢に植えられたアジサイもあり、黄葉していた。実のなったカラタチバナ・マンリョウ、赤い葉が鮮やかだったオタフクナンテンなど。
たてもの園では、その建築の表側だけではなく、ぐるりと一周見られたりもする。中に上がれる建物は、東ゾーンは少なかった。小さめの建物が多かったせいか。
入れなくても、横手や裏手の玄関には入れたり、いろいろな場所から一つの建物を見られた。どの建物を見ているのか、わからなくなりそうになりながら、ウロウロと歩いて眺めて楽しんだ。
表は店舗、裏は住居などで、見る場所によって建物の印象がかなり違う。
植村邸という名前からは、個人宅のように思えた。外観はお店のようだが、内装も含め、何だか手の込んだ家だなと思っていた。後で裏手から見たときには、大きな金庫らしき頑丈な扉が開いていた。
上の写真のときは、右の引き戸の奥側なので気づかなかった。
が、しばらく経って、裏手から見た下の写真では、左隅に扉が写っている。
東ゾーンは商業建築が多いエリアだというのに、よく説明も読まずに、手の込んだ個人宅だと思い楽しんでしまった植村邸。
帰宅後、前回ミュージアムショップで購入した「解説本」を読むと、時計屋さんだった。ショーケースを並べる販売ではなかった時代のお店。昨年、図書館で借りて読んだ、「時間の日本史」という本にも出てきた人かもしれない、と思った。
「レジスター」という言葉を思い出した。
他の年配の来場者の会話にも、「レジスター」という言葉が出てきたので、少し笑った。普段なら「レジ」の可能性の方が高いと思う。
商売繁盛と書いてしまったが、きっとそれは熊手からの印象。お店を箒で美しい状態にすることで、年を取るほどに末永く繁盛させたいという意味か、と眺めた飾りだった。
長寿や夫婦円満を願っている縁起物と思われる。熊手が集めるのは財、箒は邪気払い、というような話を、先ほどネット上で見かけた。私の印象から、大きくは外れていない様子。
天明家は、豪農の格式高い大きな建物。移築のときに移せなかった光景や、作業場などの建物もあるようだが、主屋だけでも広々とした屋内だった。庭などの外部も心地良い場所だった。長屋門という、番所や座敷がある建物もあった。
いろりに火を入れている、というような案内表示を見かけた。居間に繋がる土間から上がったが、土間に入ると匂いがしていた。冬を感じる匂い。靴を履こうと居間に戻ったときにも、匂いに気づいた。
前回は、見る時間がなかった屋外展示へ向かった。灯籠は大きかったが、そばにもいくつかの小さな展示。
写真の右奥に写っているのは石枡。石枡の手前辺りから左側へ西ゾーンまで、武蔵野の道という展示コーナー。石樋、住居址などいろいろと並んでいた。
「シンジュ」という木の名前が気になった紅葉した木。どんな漢字なのだろうと思い、撮ってあったもの。「神樹」と書くらしい。
武蔵野の道で、八王子千人同心組頭の家まで着いた。中は前に見た。閉園時間が気になり始めたので入らない。散策しながら出口方向へ向かうことにした。
干し大根。
友人たちにも夫にも、間の抜けたことを立て続けに言ってしまった。
友人から、大根が農家で干されている、と連絡が入っていたことに気づいたのは、写真を撮った5分後くらいのこと。
写真は、偶々見かけたので撮っていたのだが、切干大根の材料かと思っていた。帰宅しながら、たくあんの材料になることが多そうだ、と調べて気づいた。たくあん作りの光景として干されていることを、友人も教えてくれた。
帰宅後、夫に、干し大根は切干大根にもなるのか尋ねた。切干大根は切ってから干すんだと呆れられた。カリカリになった大根をどうやって切る気かと。
帰宅後は友人たちとの会話の中で、まだ生っぽくて、どこまで細くなるか知らないけど… というような話をしてしまった。
が、それは、たくあんサイズになるに決まっている。
昔、母とも、似た会話になったことを思い出した。今回は、突っ込まれる前に気づけたらしい。
干し方も友人たちと話題になった。私は、大根の葉で結ばれていると勘違いしていた。まだ、漬物皿からはみ出そうな乾燥具合の大根だったとはいえ、葉はしんなりしていた。
正解は、紐で葉を結んで干してあるという話だった。言われなくても、生の硬い大根の葉で、重い大根が落ちないほど頑丈に結べないだろう。干して葉が柔らかくなったからといって、大根が落ちないように結べるものでもない。
というより、干し始めたら、できるだけ触らないものだと思う。乾燥の途中は、ドライフラワーになる途中を見た経験からも、とてももろい状態だと思う。
何だかひどい発言を連発した干し大根だった。
大根は12月1日から干されている、と友人が教えてくれた。いつ頃、たくあんサイズになるのだろう。
大根の連絡に気づいたのは、企画展の入口に近い椅子で一休みしていたとき。さっき見ました、切干大根になるのかな、などと返事しているうちに、前回、私だけ見落とした小出邸のタイルを思い出した。
企画展を見る時間が少なくなりそうだったが、小出邸へ向かうことにした。
企画展の内容は、おそらく両国で友人たちと見たもののはず。
企画展「江戸東京博物館コレクション 江戸東京のまちづくり」も眺めて出た。
公園内の街灯が点く暗さになっていた。
穏やかな天候と、秋色の風景と、面白い建築と、とても幸せに過ごせた。
とてもとても満足な平日一人休暇だった。
が、この長ーーーい記事を読んだ人が、満足するとは思っていない。
こんなところまでスクロールしてくださったことに、心から感謝します。
※「おでかけ」「紅葉」note公式記事まとめに、追加いただいたようです。楽しんでいただけましたら幸いです。