見出し画像

昨夜、のんびりと雷を眺めた。昨夜のは、幕電まくでん雲放電くもほうでんというらしい。それは後でわかったこと。

初めは違和感のない上から下への雷光で、激しく落ちていないといいなと思う見た目だったはず。
だが、のんびり眺める気で、眼鏡や扇風機を準備しているうちに、何だか見慣れない雷に変わったらしい。遠くから、こちらの天頂付近へ迫ってくる雷光だった。

子どもの頃から雷を眺めるのは好き。落雷を理解していなかったことで、気楽にキレイだと眺めていられたのだろうが。
昨夜は雨も風もない中、網戸越しに窓辺で飽きず眺めていた。30分くらいだったのか。

遠いということか、低い位置で雲が激しく光る幕電。雷鳴が届かないことでも遠さを感じた。
少しずつこちらに近い雲が光る。稲妻は、屋内からでは見えにくいくらいの天頂付近へ走ってくる。雲を伝ってくる感じは見えていた。雲放電と呼ばれる現象らしい。
雷鳴は、その天頂付近から、光に少し遅れて降ってくる。

ひたすら、そんな繰り返し。
遠くの雷雲と、天頂の雷と、その下にいる私で、直角三角形のような気がしていた。

稲妻は、指を広げた手のように枝分かれしながら、近づいて消えるものもあった。見えにくい天頂付近を太い光で走るものも。
稲妻はいろいろな模様を空に描いていた。

雷のエネルギーというのは球状なんだな、と思いながら見ていた。偶々、私が居る方向へ広がりやすい条件の空だったのかもしれないが、何もなければ、円い花火のように球状にエネルギーが広がりそうな気がした。

そもそもエネルギーというのは球状なのか、とも思ったりした。

ただ、何の方向性も持たないエネルギーというのも難しい気がする。それがあったとしても、そのエネルギーがある場所の周囲に、全くムラがないということもなさそうだ。均等に広がるとは思えない。

考えたことが合っているとも思わないし、合っていても机上の空論に思えた。が、雷を眺めながら、エネルギーは円いような気がした。

そんなことを考えながら選んだ見出し画像は、円に近い形に広がる模様のデザイン。デザインではなく、図案と呼ぶ時代のものか。雷とは関係ないが、私としては繋がりのある選択。

…と話を終了することにしたものの。
何だこの意味不明なnote、と思った人の感想も、それはそれで正解と思っている。


※見出し画像:広瀬菊雄・編「千代紙集 新版」大正15年出版。国立国会図書館「NDLイメージバンク」より

この記事が参加している募集