ちょっと愚痴吐きます(涙)

お断り

最初に私の認知の偏りゆえの,過激発言を投稿してしまっている可能性があるため,この投稿から不快を与えてしまったら申し訳ありません。事前に謝罪致します。


✱✱


出来事

今日は,朝から母親がバタバタ何処かに出掛けたり動いているようだったが,特に私は心配することもなく,帰宅してから何気なく「どうしたの?買い物?」などと聞いてみた。すると,「◯◯ちゃん(母親の妹の旦那)のお母さん亡くなったんだって」という内容だった。


この部分に関しては,母親には申し訳ないとは思っているが,この叔父とは,およそ9年,私の祖父が死んだ時の通夜の時に,私がキレてしまって以来,何度か我慢して顔を合わせていたが,我慢して会った所で,もうひとりの叔父(母親の弟)から,その事でも「お前の叔父さんなんだからな。言っていることはお前の言っていることは間違っていないけど,相手はお前の叔父さんなんだからな」と全く納得いかない事を当時言われた。


そして,時は過ぎて私が結婚しようと叔父に紹介に行った時も,「手順が違っている。この◯◯家の家系として生きていきたいなら,許してやるから,もう一回最初からやり直せ」と,叔父叔母が揃って噛み付いてきた。これは当時の記憶である。「私は,そんなに間違っている人間なんですか?」「あなた方みたいな学校の先生を職業にしている人は,そんなに偉いんですか?」


この叔父に関しては,私が小学1年生の頃,ピコピコハンマーで祖父の事を叩いたら,叔父は拳で私の事を殴ってきた。私は悔しくて涙を流さず苦笑いしているので必死だった。いとこが小さかった頃,私と弟で廊下を走ったら,いとこが泣き出した。私と弟は拳で殴られた。これは,父親にも結構殴られたが,強度が全く違っている。ここでも泣けば負けだと思ってこらえてきた。当時はこれ以降近づくことは無かったが,ウチの両親の離婚を機会にパワーアップしてきた。


本当にしんどかった。20歳の頃に祖父に「もう爺ちゃんの期待通りには生きられない。でも弱いから自分で死ねないから,これで刺してください」と土下座しに行った。ナイフは直前に購入して持っていった。唯一の味方だった祖母は泣いていた。母親は休み無く無く働いていたので,相談することは無かった。祖父は,自身の苦労話をして,それ以上のことは言ってくれなかった。


そんな祖母は先に亡くなり,祖父は認知症になっていく。その後,さらに2人の叔父からのイジメは加速していった。私に父親が失敗しているので(借金での離婚),まさに教育という名の言いたい放題のイジメが始まった。私が28歳で自死を考えるようになったのも,どれだけ頑張っても報われないのを悟ったからだったと思う。


おそらく,無意識では叔父を羨ましく思っていたように思う。2人とも公務員だから。でも,どれほど頑張っても結果が味方してくれない。そして,大学に行こうと思っても,母親にはとても言えないし,祖父に相談しても,叔父に相談しても奨学金を借りろとしか言われなかった為,借金に関してはどうしても嫌だったので断念したのだ。


その後,20歳で通信大学で勉強するも,通常の仕事と平行で,どうしても長続きせず,2年時に退学することにした。本当に何をしても挫折挫折だった。


28歳の頃のうつ経験で,私は完全に頭が壊れてしまった。部屋中に塩を撒いたり,職場にも毎日掃除機で吸い取るのだが,1人の時は塩を撒いたり。最後は犬が私を噛み殺してくれないかなと思って,吠えまくっている知らない犬に自ら寄っていったのを覚えている。ただ,この犬は近づいたら噛み付くどころか,私に寄ってくるのである。その瞬間に涙が止まらなくなって,誰にも断りも無く(誰にも頼れないのだが),こっそり診療内科を受診した。



ここでも,主治医に「そっかぁ,だいの男がねえ。しっかりしなきゃね」「薬出しておくからね」と,薬を処方して貰ったのだが,「しっかりしなきゃ」の部分がやけに私にダメージを負わせることになった。ただ,どうすることも出来ない為,自身でネットで拾った『先取り不安』という内容の部分を印刷して何度も読んでいた。ただ,全くどうすることも出来なかった。


偶然,働きまくっていた母親の職場の方が,カウンセラーの佐々木修先生を知っていらっしゃって,そういったきっかけでカウンセリングを初めて受けた。
~ここの部分は改めて書こうと思う。書き出したら止まらなくなるので(笑)~


ただ,佐々木先生と出会ってから,大きく考え方が変わった。自分の中で大きく自信がついた。30歳になって再度大学受験したり,仕事に関しても大分安定してきたように思う。そんな中で,私の中で決断したのが,叔父2人(いとこも含めて)を捨てたことである。絶縁したことだった。(本当は,いとことは関係を続けたかったが,背後にいるのを気にしたくないので)これは母親も了承してくれた。それから一気に気持ちが楽になったのだ。


✱✱


占い師登場(苦笑い)

時は過ぎて,今年の春,姉と母が言ってきたという某占いに関して,私も興味本位で,姉の紹介で行ってきた。最初に答えを言うと,私には合わなかったのだが…。


まずは前世を含めて,今も私は「砂漠の中を歩いている様子が見える」らしく,「車の運転は注意が散漫になる」らしく,「結婚も向いていないらしく」「お金使いが荒すぎる」と言われた。「身に覚えないですか?」と言われた為,私が「私は逆にお金を使えない方です」と伝えると,「本当ですか。隠していないですか?」などと聞かれ,ムッとした。


車の運転も慎重な方だし,砂漠と言われると,どんな努力をしても身にならないと言われているような気がして,気持ち悪くなってしまった。「HSP交流会に関して」質問するも,「そういったのは心に余裕のある人がすることです」と一刀両断。


最後には(今思えば聞かなかった方が良かったのだが)「叔父との関係性」に関して質問したら,「お母さんの顔を立てるって意味分かりますか?」と返ってきた。「例え納得いかなくとも,お母さんの顔を立てないと,お母さんが立場無くなるんですよ」と言ってこられた。正直,41歳になっても,叔父と向き合わされるのかとガッカリしたのを覚えている。


ただ,この占い師に関しては,外れさせるのが私の生き方だと思っているので,今は信じないように意識しているが,繊細ゆえに気持ち悪さだけは常に残っている。正直,気にはなる。


そんな中での,今回の出来事。母親は私に対しては関与しないで良いというスタンスではあるが,この占い師のせいで,心のなかでは「母親の顔を潰してしまっている行動なのかな」と自問自答してしまう。心乱される日だった。


✱✱


今日

今日は,南相馬方面まで運転してきた。長沼睦雄先生のオーディオブックを流しながら,ウルフルズのLIVE音源のダブルで,1人ドライブならではのドライブをしてきた。


ウルフルズの『ええねん』という曲で止まってしまい,何度もリピート再生して自分に聴かせた。曲の中の一部分の歌詞が心を着いてきた。少し抜粋する。


「情けなくてもええねん 叫んでいればええねん 苦い涙もええねん ポロリこぼれてええねん ちょっと休めばええねん フッと笑えばええねん それでええねん それでええねん」

「何もなくてもええねん 信じていればええねん 意味がなくてもええねん 何かを信じていればええねん 他に何もいらんねん 他に何もいらんねん それでええねん それだけでええねん」

(以上,歌詞引用)

画像1


私は,佐々木先生に出会ってから,ずっと自己分析をさせて貰って,今はHSP交流会を自分で開催出来るまで回復してきたと思っている。やっぱり,どうしても自己卑下してしまう自動思考の中,佐々木先生に認知の修正をして貰っている中で,「ええねん」って自分を許せるような認知に切り替えようって,考えるようにした。


✱✱


結局は分かって貰えないだろうが

期待に添えるように良い子じゃないかもしれないが,自分なりに自分のやりたいように,自分を生きる形で人生を楽しみたいと思っている。親戚以外にはきっと迷惑は掛けていないだろうし,母親にはちょっと申し訳ないとは思っているが…。でも,自分の出来る形で人のお役には立たせて貰いたいと思っているから,それで相殺してもらえないかな…。勝手な発言だけど…。


でも,自分がされたことだけは絶対に他の人にはしたくないし,祖母だけは何が味方だったし,私のHSP交流会への参加者さんに対しての接し方のイメージは,佐々木先生と私の祖母のイメージが強くある。祖母は凄い人だったなと今でも思う。佐々木先生にこれからも自己分析をお願いしながら,同じHSPを感じている方や,ACを感じている方と,一緒に色々とお話をさせて頂きたいと思う。


ということで,結論は親戚付き合いはこのまま解消していくことなのだが,毎度最後だけ方向性がブレていくな(笑)反省。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?