「この院生はノーベル賞を授かる」とアインシュタインが評した論文(1924年)その13
その12の続きです。
前回まででルイくんはいうべきことはほぼ述べたので、今回のぶんは「IX. Open Questions」すなわち「未解決問題」のお話。
1ページ弱の分量ですので、ちゃちゃっと見ていきましょうちゃちゃっと。
冒頭段落、DeepL さん訳したってくれる? 「うんいいよ」
しょせんは AI かという日本語訳ですが大目に見てやってください。院生(といっても兵役を果たした後の院生さんなのでこの頃すでに30代ですが)ルイ・ド・ブロイくん、この段落においてアルベルト・アインシュタインと同じ地平に立っています。
どういうことかって? アルくんが14年前つまり1905年に、あの相対論の最初のものを提示したとき、脳裏にあったイメージがまさにこれだったのですよ。
前にも説明したことがあるような気がする。フランスの大御所数学者にして物理学者アンリ・ポアンカレも、無名アルくんとほとんど同時かわずかに先に、相対論のアイディアにたどり着いてはいました。
ただ彼は、この頃すでに定説となって久しいマクスウェル電磁気学の「延長」として相対論のアイディアを形にしていったのに対し、アルくんは「懐疑」から形にしていったのが違いでした。
「この電磁気学って、しょせん近似値でしかないんちゃう?」と。
同じ1905年に書き上げた「光量子説」の論文といっしょに読むとよくわかる。
「光すなわち電磁気の正体はエネルギー粒子すなわち『量子』である。電磁気学のほうでは『波動』つまり連続的なものとして計算してるけれど、それ本当は砂時計の砂が水みたいにさーっと流れていくようなもので、アナログやのうてデジタルなんちゃうか? 」
ルイ・ド・ブロイくんも、同じ考えに到達したのでした。くだんの段落、再度チェックしてみましょう。
AI翻訳です私の訳ではありません。少しだけ手を入れましたがそれでもわかりにくい訳です。しかし砂時計の砂のイメージが脳裏にあれば、皆さんにもああなるほどと感じるところありだと思われます。
私がうなったのはラストにある文「旧来の電磁気の理論における各点ベクトルは、むしろ物質と微細エネルギーとの間の反応確率を示すものと見るべきである」("the defining vectors of the old electromagnetic theory would give the probability of the reaction between matter and the fine-grained energy")と喝破した部分にでした。
かくりつです確率。ルイくん「probability」とはっきり述べています。
アル・アインくんも確率には無名時代よりこだわりをみせていました。
しかしそれは「存在確率」とか「確率密度」とかのことでした。
ルイくんはというと「反応する確率」(the probability of the reaction)と述べていますね。
数年後に提唱される「ボルンの確率解釈」を知っている目で眺めると、ルイくん嗅覚でもってその前足の先っちょをボルン解釈にちらっとお手しているようにさえ思えてきます。数年のフライング。わお。
続く段落はどうかな。DeepL さんよろしく。「うんいいよ」
電磁量子力学を知っている今の私たちがこれを読むと、鋭いようなウスラトンカチのようなことをルイくん言うてるなーと感じてしまうところだと感じます。
予想とか予言というよりは ♪こんなこっといいなっ、でっきたらいいなっ♪ に近いものです。
できるわけですよ、ルイくんの予想とは少なからず違う次元において、ですが。
続く段落も興味深いです。
「光分散ってなんやの~」という方は、ウィキペディアに当たってください説明めんどくさいし。
「共鳴」とか「共鳴波長」とかの用語が出てきます。19世紀後半に形になっていった理論です。
ルイくんはというと、光を粒子イメージで考えているので、「共鳴」とか「波長」といった連続波動の考え方では行き詰るしそれらはしょせん近似値でしかないと、いずれはっきりするであろうと述べているわけです。
「ブラッグ吸収」というのは、高校で物理を習った方なら習っていると思います。こんな図、教科書にあったのではないでしょうか。Ⅹ線を結晶にあてると、入斜角度によって反射の強さが劇的に変わるっていうアレ。
それから「デバイの比熱理論」についても言及しているのは目端が利いててナイスないす。
これも語ると長くなるので省きますが、アインシュタインが彼の光量子説をエントロピー研究に応用することで大改革を起こした分野に、ドバイ…ではなくてピーター・デバイ(阿蘭陀人)がさらに磨きをかけたものであると思っていただければ、今はいいです。
そして以下が、本節の最終段落です。
念押しします、本論文は前年1923年にルイくんが記した三つの論文(フランス語)それにここまで触れませんでしたがごく短い英語講演録があってそれをえげれその老舗物理学論文誌向けに一本の論文に仕上げたものです。
反響はというと… うーん1924年のソルベー会議(物理学者の一番えれーひとたちが毎年集まって議論するの)で講演したがったのだけど果たせずに終わったとかなんとか。つまりは当時の彼もその研究もこの程度の扱いだったようです。
次回で論文の最終節を見ていきましょう。つづく!