ディラックの論文はどうして腑に落ちないのか
ポール・ディラックの論文を解読していくにつれて、彼のものがどれも明晰でありながらどこか腑に落ちない理由が見えた気がしました。
アイザック・ニュートンの力学書『プリンキピア』は、今の目で読むと必要十分条件が満たされていない議論に満ちています。
たとえば惑星の軌道が楕円を描く、いわゆるケプラーの法則について彼は同書で「距離の二乗に反比例する力」を仮定することで説明してみせたわけですが…
この力を仮定すると、ケプラーの法則を説明できるとして、この仮定から同法則を唯一の正解とまでは言えないのです。
難しいかな?「距離の二乗に反比例する力」を仮定しても、太陽をまわる惑星の軌道が *必ず* 楕円になるとは証明しきれないのです。
ずっと後のことですが遺伝子の構造を、デオキシリボ核酸の二重らせんとして説明したのがワトソン&クリックの二人組でしたが、彼らの理論には穴がありました。二重らせん以外はありえないとまでは、言い切れなかったのです。
こういうのを数学の世界では「逆問題」といいます。A→Bは説明できてもB→Aが説明しきれないでいるとき「逆問題が解けないでいる」と呼びます。
ディラック論文にも同種の❓が随所に見られます。
1926年当時、量子力学は黎明期でした。行列で解く派と、微分で解く派の二つがあって、やり方は違うのに同じ答えが出るのはどうしてなのか、論争が続いていました。
そこを彼はスマートに説明してみせました。本人はそのつもりで書き上げたのだと思います。
しかし解読しながら私は何度も首をひねりました。天下り的に新たな数式が繰り出されていくのです。
どうやってそれを思いついたのかは、いちおう分かるのですよ。ああなるほど形式的にそういうのでないといけないしそういうのが一番自然だよね、と。
ただそれがあまりにスマートに繰り出されるので、取り残され感が積もっていきます。
簡明な数式であるほど神の御心に近くなるが彼の終生の姿勢でした。徹底してそうです。そのため逆問題については無頓着でした。
数学者フォン=ノイマンがポールくんの一連の仕事ぶりを賞賛しつつもその不完全さに苛立っていた(らしい)のも、おそらく私と同じものを感じていたからだと想像します。
くだんの1926年論文の翌年に、これぞ数学って感じの大論文「量子力学の数学的基礎付け」を上梓し、さらにはディラックの書物『量子力学』(1930年)の二年後に『量子力学の数学的基礎付け』を書籍化していることからも、きっとそうだったのだと思います。
ふたりのど天才の思考を追っていくと、非常に刺激的です。