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天才ディラック(24歳)の1926年論文を解読するのだ・最終節その5

$その4からの続きです。スティーヴン・ホーキングの前任者の前任者でもあった、ポールくん(24歳)のキレッキレな若書き論文に、真正面から挑んでいます私。越えねばならぬ絶壁だから。

どういうところがキレッキレかというと、現代の目で読むとどうしても現代の確立した理論の目で読んでしまうため、彼が何を論じているのか次第に分からなくなってしまう怖さがあるからです。

それはポールのせいではありません。当時は知られていないいくつものメソッドがあって、それはむろん当時の彼は知る由もないわけだから使えないわけで、むしろ数式の形式に着目して黙々と物理学神の暗号を解読していく、そのストイックというか簡素な進みっぷりが、私には畏敬の念とともに実感されていきます。

行間を読みながら、彼の思考過程の、見えざる大きなベクトルが、だんだん浮かび上がってくるようです。

今回はこんな箇所を解読していきます。


ここから電磁波(いうまでもなく光は人の目に感知できる周波数の電磁波であります)の議論にぐんぐん進んで行きます。ぐんぐん。

ここで古典物理における波動の方程式、思い出してみましょう。


$${\psi(x,t) = A e^{i(kx - \omega t)}}$$


ここで $${k}$$ は波数、$${ω}$$ は角周波数です。この基本式から $${x}$$ や $${kx}$$ は省いて $${-\omega t}$$ を残すとですね、


$${\psi(t) = A e^{- \omega t}}$$


これにプランク定数の式 $${ℏE=ω}$$ を放り込むと…


$${ψ(t)=Ae^{-i(Et/ℏ)}}$$


ここに出てくる $${E}$$ はエネルギーです。初歩の初歩。これを $${W_m-W_n}$$ と置きかえてみましょう。


$${ψ(t)=Ae^{-i(W_m-W_n)t/ℏ}}$$


唐突で恐縮ですが $${A}$$ を取って $${ψ(t)=e^{-i(W_m-W_n)t/ℏ}}$$ として、こんな式を作ってしまいましょう。


$${\eta \psi_n = \sum_m \eta_{mn} e^{i (W_m - W_n) t / \hbar} \psi_m}$$


$${η}$$ についてポールくんは明確な説明を論文中でしていませんが、摂動ポテンシャルのことを指していますね。

安定している太陽系に、宇宙の果てから何かエネルギーがびびびーっと降り注ぐと火星や土星や地球などの軌道が揺らぐイメージ。システム(この場合、太陽系)全体のエネルギーにびびびーっと加えられる追加的な項だから、エネルギーとは呼ばずポテンシャルと別称しています。

水素原子を太陽系と見立てれば、摂動ポテンシャル $${η}$$ にあたるのは電磁波です。

$${η_{mn}}$$ は軌道 $${m}$$ にあった電子を軌道 $${n}$$ に跳ね飛ばす場合の摂動ポテンシャルですね。

$${η}$$ を $${ψ_n}$$ に掛けて $${ηψ_n}$$ にすると、何だと思います? 電子軌道 $${n}$$ にある電子の波動関数に、摂動ポテンシャル $${η}$$ が作用するとどうなるかーってことを表しています。

さらに、右辺を設けてこんな数式にしてみましょう。


$${ηψ_n=∑_mη_{mn}e^{i(W_m-W_n)t/h}ψ_m}$$


左辺の $${ηψ_n}$$ を言語化すると「電子軌道 $${n}$$ にある電子の波動関数に、摂動ポテンシャル $${η}$$ が作用すると、どうなるかな~」ってところです。

右辺は少しめんどくさげなので、少しばかり簡略化して…

$${η_{mn}e^{i(W_m-W_n)t/h}ψ_m}$$


そして言語化するとこんな感じです。「摂動ポテンシャルの一部をなす $${η_{mn}}$$ によって、電子軌道 $${n}$$ から 電子軌道 $${m}$$ に電子が跳ね飛ばされて波動関数が $${ψ_m}$$ に変わる」

さらにここに $${∑_m}$$ を加えると…

 $${∑_mη_{mn}e^{i(W_m-W_n)t/h}ψ_m}$$

これ、何て言ってるのかわかるでしょうか。先ほどの「摂動ポテンシャルの一部をなす $${η_{mn}}$$ によって、電子軌道 $${n}$$ から 電子軌道 $${m}$$ に電子が跳ね飛ばされて波動関数が $${ψ_m}$$ に変わる」現象について、あらゆる $${m}$$ について考察するぞって宣言です。

ちょっとわかりにくいかな? $${m}$$ から $${n}$$ への電子跳躍と言うとき、この二つの文字  $${m}$$, $${n}$$ は定数扱いでした。変数とは宣言していません。

しかしそこに $${∑_m}$$ が重なると「$${m}$$ は変数だよ~ん」と設定変更されるのです。

かくして、先ほど一度お見せした、この数式が誕生します。


$${ηψ_n=∑_mη_{mn}e^{i(W_m-W_n)t/h}ψ_m}$$


言語化すると「電子軌道 $${n}$$ にある電子の波動関数に、摂動ポテンシャル $${η}$$ が作用すると、どうなるかな~、電子軌道 $${m}$$ に移るんだよね~、この $${m}$$ は軌道その1かもしれないし軌道その2かもしれないし3かもしれないしもっと外縁の電子軌道かもしれないので、この際 $${m}$$  は変数と見なして、各ケースについて総和するならば、あらゆる電子遷移についてカヴァーできちゃうね~ cool だね~」という式です。


実はこれと酷似した式を、こんな風に作れます。(どこが違うか分かるかな?)


$${\dot{η}ψ_n=∑_m\dot{η}_{mn}e^{i(W_m-W_n)t/h}ψ_m}$$


$${\dot{η}}$$ にご注目ください。先ほどの式では $${η}$$ だったのが、ここでは $${\dot{η}}$$ に変わっていますね。

摂動ポテンシャル($${η}$$)は時間に依存します。ビリヤードで球を突くとき、同じ運動量で突くとしても一瞬で突くときと時間をかけて突くときでは球の動きは変わってくる(と思う、やったことないのでわかりませんが)ように、同じ摂動ポテンシャル($${η}$$)であっても、その時間微分($${\dot{η}}$$)の大きさ小ささによって、ビリヤードにおける玉突きの差異にあたる違いが生じます。

$${\dot{η}_{nm}=i(W_m-W_n)/hη_{mn}}$$ も成り立つ理由、わかるかな?

時間微分だからですよ。

先ほどの式のなかに $${(W_m-W_n)t/h}$$ という式フレーズがあったのを思い出してください(思い出せないひとは式のなかに探してみてください)。ここから $${t}$$ が外されたものと考えていいです $${\dot{η}_{nm}=i(W_m-W_n)/h, η_{mn}}$$ 内にある $${(W_m-W_n)/h}$$ は。

 これでピンとこない方は、ここから先に読むすすむのはどうかギヴアップしてください。式をじーっと睨んでいるうちにピンとくる方を、ここより優先します。


こんな式が成り立ちます。唐突でしょうがそうなのです。じーっと睨んで、何を語っているのか、心の耳で聞きとってみましょう。


$${ihc\dot{a}_m=∑_na_nκ\dot{η}_{mn}e^{i(W_m-W_n)t/h}}$$


これ、原論文には式(25)として現れる $${ih\dot{a}_m=∑_na_nA_{mn}}$$ から導出されます。(その過程は今は省きます。本論の本筋に早いとこたどり着きたいし)

$${\dot{a}_m}$$ が左辺に括りだされるよう、式変形してみます。そのほうがこの後の話が視覚化できるから。


$${\dot{a}_m={(1/ihc)}∑_na_nκ\dot{η}_{mn}e^{i(W_m-W_n)t/h}}$$


$${\dot{a}_m}$$ が括りだされました。見ての通り微分記号がついているので、これを積分すれば $${a_m}$$ が立式できます。こんな風に ⇩


$${a_m=c_m+1/ihc.∑_nc_n\dot{η}_{mn}∫_{0}^{t}κ(s)e^{i(W_m-W_n)S/h}ds}$$

($${c_m}$$ は摂動開始の瞬間すなわち非摂動系だったときの状態。本論冒頭に言及があります)


これを先ほどの $${ihc\dot{a}_m=∑_na_nκ\dot{η}_{mn}e^{i(W_m-W_n)t/h}}$$ に放り込む(この技、なんとなくウロボロスの蛇のようですわ)と…


$${a_m=c_m+1/{ihc}.∑_nc_n\dot{η}_{mn}∫_0^Tκ(t)e^{i(W_m-W_n)t/h}dt-1/{h^2c^2}.∑_{nk}c_k\dot{η}_{nk}\dot{η}_{mn}∫_0^Tκ(t)e^{i(W_m-W_n)t/h}dt∫_0^tκ(s)e^{i(W_n-W_k)s/hds}}$$

(いわゆる二次近似をしている)


こう記した方がいいかな。最右辺として $${c_m+{c_m}'+{c_m}''}$$ を追加しますた。


$${a_m=c_m+1/{ihc}.∑_nc_n\dot{η}_{mn}∫_0^Tκ(t)e^{i(W_m-W_n)t/h}dt-1/{h^2c^2}.∑_{nk}c_k\dot{η}_{nk}\dot{η}_{mn}∫_0^Tκ(t)e^{i(W_m-W_n)t/h}dt∫_0^tκ(s)e^{i(W_n-W_k)s/hds}=c_m+{c_m}'+{c_m}''}$$

($${c_m}$$' および $${c_m}$$'' はそれぞれ一次および二次の項です)


これでようやく、時間 $${T}$$ のとき電子が軌道 $${m}$$(厳密には「状態 $${m}$$」と言うべきかな)にある原子の数を、こんな風に算出できます。


$${N_m=a_ma_m*=c_mc_m*+c_m'c_m*+c_mc_m'*+c_m'c_m'*+c_m''c_m*+c_mc_m''*}$$


ううっようやくここまで来ました(´;ω;`)ウゥゥ。ずっと読んできてくださった皆様もきっと「ああなるほどポールくんこれを算出したかったわけね」とかんどーしてくださると嬉しいです。


だがしかし!



ゴールではありません。山頂への到達を阻む、最後のスーパー氷壁に、たどり着いたにすぎませぬ。

この論文より十年前、あのアルベルトなアインシュタインくんが挑んでいちおう山頂まで達したものの実は途中でズルしてタケコプターに頼ってしまったこの氷壁を、ポールの兄ぃ(24歳)が「ぼくがルートを開拓するよ」と器用によじ登っていく、そんな光景が私の脳裏には浮かんでいます。



がんばれポール、誰も見たことのない世界を見上げ、見下ろしてみせなさい! つづく。


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